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■秋田市の伝説■

●与次郎稲荷

 

 千秋公園はかつて神明山といい、秋田藩初代佐竹義宣が城を築いたところである。山は竹やぶでおおわれ、狐の良いすみかとなっていたが、工事が進むにつれその居場所もなくなっていった。そのころ、佐竹公の枕元で夜な夜な怪しい物音がするようになり、眠れぬ夜が続いていた。

 そんなある日の夕暮れ、殿様は庭先で1匹の白狐に出会った。狐は、「私はこの山に住んで300年あまりになるが、このままでは住処がなくなってしまう。もし今までどおりここに置いてもらえるなら、お城が続く限り働きたい」と申し出たので、殿様はこれを許した。間もなくして、城下に与次郎という、恐ろしく足の速い飛脚が現れた。与次郎は、早い者でも6日かかる江戸と秋田の間を、たったの3日3晩で走った。与次郎は秋田藩にやとわれ、大変に重宝された。

 ところが、与次郎が活躍するにつけ、その素性を怪しむ飛脚の者たちが現れた。彼らは、「秋田と江戸の間を3日で走るなど、人間とはとうてい思えねえ。もしかしたら、キツネかもしれねえぞ」と噂し、やがて与次郎をだましてしっぽをつかんでやろうという話がまとまった。

 隣の国の六田村(山形県東根市)は、飛脚の中継ぎの場所であった。飛脚の男たちはそこで油揚げに毒を入れ、道端に用意した。ちょうどそこへ、江戸から帰ってきた与次郎が通りかかった。腹が減り疲れきっていた与次郎は、一度通り過ぎたものの、あろうことかふらふら戻ってきてその油揚げを口にしてしまった。そして、与次郎は毒にあたって命を落としてしまった。

 六田村で飛脚たちはよろこんで酒盛りをした。ところが、男たちは急にもだえ苦しみ、狂い死にしてしまった。また、その年の稲のできはひどく悪く、ほとんどとれなかった。六田村では、与次郎の祟りをおそれ与次郎八幡を祀ったという。

 また、佐竹の殿様は、与次郎の姿が見えなくなったので調べさせたところ、六田村での悲しい知らせが届いたので、城内に稲荷神社を建て、与次郎を祀った。千秋公園の与次郎稲荷神社がそれである。

(『秋田の伝説』(日本標準)より(以下標準))

 秋田駅前から歩いて数分、市民の憩いの場である千秋公園が広がる。ここはかつて佐竹家の居城・久保田城があったところ。園内には現在図書館や美術館・高校などもあり、市の文化の中心をなしている。
 駐車場から城跡の名残である石垣を見ながらかつての城内へと登っていくと、すぐに目の前に飛び込んでくるのが、鎮守八幡神社。その向かって右に、いささかこじんまりと建っておられるのが、伝説の残る与次郎稲荷だ。

 与次郎稲荷については、秋田県秋田市、山形県東根市の2箇所で伝えられている。しかも、「同類・同種の伝説」ではなくて、「同一の伝説」としてである。2市の距離は相当なものであるが、このような伝えられ方をしているのはなかなか面白い。
 どちらかの伝説がもう一方へ伝播したか、あるいは伝説のモデルとなった飛脚が実在していて、実際の事件が伝説の元になっているということもあるかもしれない。

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秋田市千秋公園。とにかく、公園に行けば神社は見つかる。


与次郎稲荷神社。


紅葉の久保田城跡。


●三吉様

 

 太平山のふもとの村に大力の三吉という男がいて、百姓のために悪者をこらしめた。三吉は不動滝で修行して生き神様になり弱い人々の味方となった。太平山三吉神社は、三吉を祀っている。(標準)

 太平山三吉神社といえば、秋田を中心に北日本で信仰の厚い神さま。かつては修験の山として栄え、そこに祀られる三吉神は東北地方らしい素朴で力強い神格を備えている。
 三吉神が妖怪視されたのが「三吉鬼(さんきちおに)」であると言えば、妖怪にちょっと詳しい人なら「ああ。あれか」と思うだろう。

 いうまでもなくその大元締めは太平山山頂の奥の宮になる。太平山は老若男女のハイカーでにぎわう人気の山ではあるそうだが、そのコースは片道3時間という軽い気持ちでは挑めないレベル。
 秋田に来たついでにちょっくら・・・というわけにはいかないので、お山の方は遠くから拝むだけにし、里宮をお参りすることとした。
 その三吉神社里宮は秋田駅西口から2キロほど、広面というところにある。威厳を感じる立派な神社で、境内からは奥宮がある太平山を眺めることもできる。いつかは奥宮へ行ってやるぞ、と誓ったところで、この地を後にしたのであった。

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秋田市広面。いわゆる秋田駅の裏口から北東へ。近くまで行けば看板が出ている。


里宮の社殿。


太平山の遠景。


●古四王神社

 

 秋田にやってきた坂上田村麻呂は、相手の大滝丸のいるところを古四王神社の神にたずねると、男鹿の加茂にいると告げられ、これを討ち取ることができたという。(標準)

 もちろん、この地に田村麻呂がやって来たという史実はない。ただ、火のないところに煙はたたないもの。この古四王神社のある丘陵の上には、「古代秋田城」の史跡があるのだ。

 これは、近世に佐竹氏が居城とした駅前の「久保田城」とは別で、律令時代、対蝦夷の最前線として築かれた城である。陸奥で言うところの「多賀城」や「胆沢城」にあたるわけだ。

 境内には田村麻呂を祀る田村神社もあり、さらに伝えるところによると、安倍比羅夫がこの地に下向したときに「古四王」と称したとあり、まさにこの一帯が軍事の重要拠点として機能していたことがわかるのである。

 

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秋田市寺内児桜1丁目。周辺は丘陵に住宅が密集しているところで、土地勘が無いとなんだかわかりずらい。


古四王神社。


おまけ。古代秋田城跡には門が復元されている。


●空素沼

 

 寺内猿沢に田へ水を引こうと池をつくったら、そばの烏ヶ池が涸れはじめたので、そこの主が猿沢の池に移り、1夜のうちに大沼とした。それが空素沼で、カラスの飛ぶ姿に似ている。(標準)

 主の姿が伝えられていないが、沼の主だからやっぱり蛇なんだろうか。それとも、沼の名前から考えると鳥類ということになるんだろうか。鳥の水神というのもあまり聞かないが・・・

 ちなみに現在空素沼は、聖霊女子短大の裏手、なかなか近寄りがたい林の中に静かにたたずんでいる。沼のほとりには空素沼神社というお宮も祀られていた。

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秋田市寺内高野。沼の北側から見下ろすこともできるのだが、ここには「空素沼神社」があるので、是非。


空素沼。


●金砂神社

 

 秋田高校の近くにある金砂神社は、藩主佐竹氏の守護神として秋田移封してきたものだが、女性の守護神として名高い。これは、桜神社を合祀しているからである。

 武家の娘佐保姫は父の近習に恋をしたが、その恋はいれてもらえなかった。というのも醜いアバタ顔だったからだが、姫はそのことを知らずに毎日嘆き悲しんでいた。
 ところがある日、井戸に映った自分の顔を見て真実を知り、悲しみのあまりそのまま井戸に身を投じて亡くなった。姫は後に桜神社として祀られるようになったが、それからは金砂神社に女の願い事を祈ると叶えられるようになり、昔はかなり繁盛したという。

(『秋田の伝説』(角川書店)より(以下角川))


●二ツ森

 

 外旭川の神田の西方の田んぼに、古墳状の二つの森が見えるが、これを二ツ森という。

 昔、諸国を旅していた2匹の鬼が秋田入りして、今の川辺郡雄和町女米山に逗留しているところへ、男鹿の赤神一家の使者がやってきて、秋田に入るからには親分に挨拶に来いと脅した。2匹の鬼が外旭川までくるとはっきりと男鹿の山が見えたが、「なんだ、あんな山は箱庭みたいなものだ。2人で男鹿の倍もある山を造ろうじゃねぇか」と相談がまとまり、2頭の馬で土を運んで山造りにかかったが、なかなかはかどらなかった。
 そのうちに夜が明けて1番ドリが鳴いたため、2匹の鬼はあわてて逃げ出してしまったが、二ツ森はその時の名残だという。また、あまりの鬼のあわて方に2頭の馬も驚いて腰を抜かしたために石となったが、黒駒・白駒神社はその馬を祀ったものだという。(角川)

これはしばらく探してみたのだが、外旭川のあたりは一面平らな田んぼで、塚らしきものが見当たらない。情報求む。

●秋田蕗

  

 仁井田地方がまだ深い森であったころ、この地にはどんな病気でも治るという霊泉があったが、女人禁制であった。
 ここに、近くに住む富貴姫の父が病に取り付かれ、日ごとに弱まっていった。富貴姫は父の病気を治したいばかりに禁をやぶって霊泉に近づき、泉の主と夫婦の契りを結んだとたんに、急に日が暮れて山々は荒れ、泉は凍りつき、姫は降り積もる雪に埋もれてしまった。
 やがて春が来ると父の病は治ったが、姫の行方を捜しているうちに、霊泉の近くで雪を割って咲く花を見つけた。その1株をとろうとしたところ、そこには見覚えのある姫の水瓶があった。父はこの花が娘の化身だと知り、それからこの花を富貴草とよぶようになったという。(角川)

 秋田名物秋田蕗。頭上にかざせば傘にもなるという大きなもので、北海道などに自生している。秋田市では天保の末に秋田藩士梅津織之助が、よそで食べた蕗の味がうまかったので、食用に栽培させたのが始まりという。
 このようにタネを明かせば味気もなにもない蕗の由来なのだが(蕗の味はおいしいけど)、それがいつの間にかこのように美しい伝説を生む・・・。まさに民俗侮り難し、である。


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