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■男鹿市の伝説■
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●なまはげ由来(1) |
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あるとき、鬼のような人間が男鹿の西海岸に打ち上げられた。それは大兵肥満で紅毛碧眼の男であった。陸地に着いたとき、異様にかん高く響く叫び声をあげたという。 五社堂の階段を作ったのは、この異国人の滑車と特殊な綱であったという。 (『男鹿のなまはげ』(男鹿のなまはげ保存伝承促進委員会)より) |
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毎年の正月、「泣く子はいねがー」と家々をまわるなまはげ。男鹿半島のそれはあまりに有名であるが、実は日本各地に「あまはげ」「あまめはぎ」「なもみはぎ」などといろいろな名称で伝わる行事と同様のもので、男鹿独特のものではなく、普遍性を持った祭りである・・・ということは、まあ言うまでもないことだろう。 このなまはげの由来を伝える伝説はいくつかあるのだが、上記はそのうちのひとつ、異国人説である。なまはげに限らず、「鬼というのは漂着した異国人を見て想像されたものである」という説を時折見かけるが、まあ当たらずとも遠からず、もしかしたら異国人のイメージも少しは混入されてるかも・・・といった程度であると思う。
「おばんです。なまはげ来たす」 ・・・といった具合だ。まあ全部書くと長いのでこのへんで。ちなみに、真山地区のなまはげは神様の使いであるので、角が無いのだそうだ。(なまはげ由来(2)へ続く) ★ ★ ★ |
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●なまはげ由来(2) |
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なまはげは、真山神社の神事にもとづくといわれるが、その起源は、むかし、漢の武帝が五匹の鬼を連れてやって来て、毎日のように鬼たちを酷使していたのだが、正月の十五日だけは里に下りて乱暴や略奪を許したのに始まるという。 一年に一回だけ暴れているうちはまだよかったが、やがて武帝は鬼たちを残して帰っていってしまった。自由になった鬼たちは毎目のように人里に下ってくると、乱暴を働いては村人を苦しめた。 |
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五匹の鬼を祀ると言われる五つの社は、伝説どおり長〜い長〜い階段の上にある。これが、意外にキツイ。段差が高いのだ。やはり鬼サイズなのか? ★ ★ ★ |
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![]() 鬼がさしたという杉。わずかに破片が残る。 |
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●姿見の井戸 |
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赤神神社五社堂の境内に、姿見の井戸がある。その井戸に姿を写して見えなかったときは、3年のうちに命を没すと言われたという。 |
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少々怪談めいたお話。もし姿が写らなかったら・・・と思うと、伝説とはいえちょっと動揺するかもしれない。度胸のある人は、試してみてはいかが? ★ ★ ★ |
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●鬼の隠れ里 |
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寒風山の中腹に、大石がピラミッドのように重ねられたところがある。石倉とか隠里とか言って、むかしこの辺りにすんでいた鬼たちがせっせと石を積み上げて奥の間に寝泊りしていたのだという。 |
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寒風山山頂から西へ降りてくると、道端に「鬼の隠れ里」の標識がある。 ★ ★ ★ |
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●古玉の池 |
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古玉の池は、お玉というふもとの村の娘が、村主の誘惑を退け池に身を投じ蛇となったので、名づけられたという。姫が岳を蛇越長根というのは、火口の内壁に露出している溶岩が、お玉が変じた蛇が通った跡を思わせるからだという。 |
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●竜髭払子 |
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大竜寺の老禅和尚の枕元に、夜毎に美女が現れて座り続けるようになった。さすがの和尚も時には気を奪われそうになったので、ある夜、美女が現れたときに「諸行無常・・・喝ーッ」と気合をかけたところ、美女は泣きながら「わたしは日本海に住む竜神だが、こうして女子となる業性の苦患から逃れたいために8夜通い続けたが、今夜、菩薩戒と血脈を授かったお礼に、寺の井戸に水をわかします」といって、自分の頭髪を切って禅僧に捧げた。この頭髪でつくったのが竜髪払子といわれる。 後年、日照りが続いて大飢饉に見舞われそうになったときに、当時の住職が海に舟を浮かべて寺宝の払子を用いて雨乞いをしたところ、たちどころに雨が降り出して男鹿の人々は飢饉から救われたのだという。その後、同じ寺宝の昇竜の軸を山形県は善宝寺に入質したため、竜神の怒りに触れて雨乞いの霊験を失ったという。(角川) |
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大竜寺はかつて安東氏の菩提寺で、かつては女川にあったという。竜髭払子の伝説は、雨乞いの儀式が実際に行われていた名残であろう。 |
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●能登山 |
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むかし、北前船に乗ってきた能登の若者と男鹿の娘が恋に落ちた。若者は、来年の春には椿の実を持って帰ってくると約束しこの地を去ったが、次の秋にも、そのまた次の秋にもとうとう帰ってこなかった。 そのころ村には、若者の北前船が難破したらしいとの噂がひろまったが、娘はそれを信じず3年間待った。しかし若者はやはり帰らなかった。寒い冬が男鹿半島に訪れたころ、若者は噂どおり死んだものだと思い込んで、娘は能登山から身を投じて死んだ。村人たちはその恋心に同情し能登山の頂上に娘の墓を立ててやった。 ところが、能登の国で仕事におわれ帰ることができなかった若者が、4年目の春にようやく思いがかない、約束の椿の実を持って男鹿にやってきたが、娘の死を知らされた。悲しんだ若者は能登山の娘の墓のまわりに椿の実を蒔き、自分の代わりに墓を守ってくれと祈り去った。やがてその実が芽吹き、全山を覆うようになったのだという。 昔は旅人がこの山に登ると嵐になるといって登らなかったものだった。(角川) |
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春になると全山が椿の花で覆われる能登山。能登山の椿は国の天然記念物に指定され、かつては日本北限の椿の自生地とされていた(今は違うらしい)。 |
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