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■男鹿市の伝説■

●封蛇石

 

 享保のころ、この地に銀色の斑点のある巨大な蛇が生息していた。ところが、石の割れ目に蛇体を見せても、誰一人として頭と尾を見たものはなく、土地の人々は霊蛇としてあがめたてまつっていた。

 だが、この霊蛇も、いずれ時がくれば自ら雲や風を呼んで大地を振動させ、大水を湧き上がらせて昇天するだろうが、その時の被害を恐れて、人々は非常に心配していたのだった。

 そのころ、松原の補蛇寺二三世の住職である徳善民道禅師がこの地に来てこの話を聞き、霊蛇を秘法でもって石の中に封じ込めてしまったが、そのときに霊蛇は禅師に、「慈恩にこたえるために万病平癒・大漁満足・所縁吉祥を善男女に与える」と誓ったため、村人は岩清水大竜王神社と名づけて祀るようになった。

 その後は、封蛇石の下から湧き出る清水につかると、足腰の立たなかった人が不思議と再起するので近所に知られるようになり、ご利益を頼っておとずれる人が多くなったのだという。

(『秋田の伝説』(角川書店)より(以下角川))

 こは最近の世間話もくっついていて、この地に来た2人の教師が石にいたずらをして奇病で死んでしまったとか、近くに砕石に来た石工が岩盤にタガネをうちこんだところ鼻血が止まらなくなって帰っていったなどという話もあるらしい。現在も細々と生き続けている伝説なのであろう。

 

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男鹿市脇本富永。おそらくこの鳥居マークだと思うのだが・・・。寒風山へ登る県道55号線から、信号を南に曲がってちょっと行くと、東側へ伸びるダート道がある。封蛇石の入り口には「菅江真澄」の標識が立っているので、それを探そう。


封蛇石入り口の鳥居。


封蛇石。祠が建っている。


●なまはげ由来(1)

 

 あるとき、鬼のような人間が男鹿の西海岸に打ち上げられた。それは大兵肥満で紅毛碧眼の男であった。陸地に着いたとき、異様にかん高く響く叫び声をあげたという。

 五社堂の階段を作ったのは、この異国人の滑車と特殊な綱であったという。

(『男鹿のなまはげ』(男鹿のなまはげ保存伝承促進委員会)より)

 毎年の正月、「泣く子はいねがー」と家々をまわるなまはげ。男鹿半島のそれはあまりに有名であるが、実は日本各地に「あまはげ」「あまめはぎ」「なもみはぎ」などといろいろな名称で伝わる行事と同様のもので、男鹿独特のものではなく、普遍性を持った祭りである・・・ということは、まあ言うまでもないことだろう。

  このなまはげの由来を伝える伝説はいくつかあるのだが、上記はそのうちのひとつ、異国人説である。なまはげに限らず、「鬼というのは漂着した異国人を見て想像されたものである」という説を時折見かけるが、まあ当たらずとも遠からず、もしかしたら異国人のイメージも少しは混入されてるかも・・・といった程度であると思う。

 さて、男鹿におけるなまはげ観光の中心地、真山神社である。すぐ隣接して「なまはげ館」と「男鹿真山伝承館」という施設もあり、なまはげ目当てなら必須の場所である。
 まずは真山神社。「まやま」だと思っていたら、「しんざん」だそうだ。静か〜な山奥にあり、風格を漂わせている。そして、門をくぐろうとしたその時、頭上に巨大なナタが。なまはげが持っているナタだろうか?マグロでもさばけそうな巨大さだ。神社を拝見した後は、いよいよ「なまはげ館」、「男鹿…館」へ。ふたつ遇わせて800円也。

 まずは「なまはげ館」だが、まあいわゆる資料館である。男鹿の民俗展示や、なまはげに関するシアター、なまはげ変身コーナーなんかがあるのだが、なんと言っても圧巻なのが男鹿各地のなまはげを一同に会したコーナー。なまはげは男鹿半島の中でも地域によって少しずつ姿が違っているのだが、それらをずらーっと並べてあるのだ。丸い顔、四角い顔、ちょっと稚拙かなと思われる顔、ド迫力の顔。なかなか見ごたえがある。

 次の「男鹿真山伝承館」、これは何かというと、なんと、なまはげ実演を見られる施設なのである。しかも、建物は伝統的な曲がり家で、座敷に座って見ることになる。
 軽い説明があった後、いよいよなまはげ登場。いきなりドンドンドン!!!と家中の扉がたたかれたと思うと、「ウォー!!ウォー!!」と雄叫びをあげて、部屋の中を暴れ回る。もうこの時点で、観客席のお子様はビビリ上がっており、親にしがみついている。そして、その後は伝統的な形式にのっとった、家主となまはげの問答が始まるわけだ。

「おばんです。なまはげ来たす」
「おめでとうございます」
「寒びどご良ぐ来てけだすな」
「山から来るに容易でねがったす」
「ウォー、泣ぐ子いねが。怠け者いねが。言うごど聞がね子どらいねが。親の面倒み悪りい嫁いねが。ウォー」

・・・といった具合だ。まあ全部書くと長いのでこのへんで。ちなみに、真山地区のなまはげは神様の使いであるので、角が無いのだそうだ。(なまはげ由来(2)へ続く)

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男鹿市北浦真山。男鹿半島1、2の観光スポットなので、迷うことはない。


真山神社。


なまはげの実演。


真山神社に奉納されていた巨大なナタ。


一堂に会した様々ななまはげ。


●なまはげ由来(2)

  

 なまはげは、真山神社の神事にもとづくといわれるが、その起源は、むかし、漢の武帝が五匹の鬼を連れてやって来て、毎日のように鬼たちを酷使していたのだが、正月の十五日だけは里に下りて乱暴や略奪を許したのに始まるという。

 一年に一回だけ暴れているうちはまだよかったが、やがて武帝は鬼たちを残して帰っていってしまった。自由になった鬼たちは毎目のように人里に下ってくると、乱暴を働いては村人を苦しめた。
 困りはてた村人は一計を案じ、「門前から長楽寺までの間に、ひと晩のうちに千段の石段をつくることができたら、毎年のように嬢をあげよう。しかし、一段でも欠げた時には、山から人里に下って来ないことと」いう提案をすると、鬼は喜んで石段を積みはじめた。
 まさかひと晩のうちに千段の石段はとてもつくれないだろうと思っていた村人は、鬼たちが寒風山から次々と岩を運んできては積み上げていくのに驚き、これではひと晩のうちに千股の階段ができあがってしまうと考えた。これは大変だと驚き、ニワトリの鳴き声のうまい人を連れて来ると、早目に「コケコッコー」と一番ドリの声を出させたのが、九九九段目ができた時であったという。
 鬼たちは怒って杉の大木を抜き取ると、逆さに大地に突き刺して山に帰っていったという。(角川)

 
 男鹿のなまはげスポットは、真山神社周辺と、もうひとつある。半島の南、アップダウン、左右カーブが連続するスリリングな男鹿半島線を進んだ先にある赤神神社五社堂(国重文)である。

 五匹の鬼を祀ると言われる五つの社は、伝説どおり長〜い長〜い階段の上にある。これが、意外にキツイ。段差が高いのだ。やはり鬼サイズなのか?
 ちなみに、階段はきっちりした作りではなく、一段一段がはっきりしていないので、999段あるかどうかは定かではない。

 苦労して登ってみたものの、なんと、2001年現在、五社堂は工事中・・・(^^;。かろうじて2つほど見えたのでよかったのだが。本来ならば、男鹿における山岳信仰の名残を伝える入母屋造の立派なお堂が見られるはずである。

 ちなみに、鬼がさしたという杉の木(逆木)は残念ながらすでに枯れてしまったそうだが、社殿の近くの小屋の中に、その一部が保存されていた。

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男鹿市船川港本山門前。せっかくなので半島北西の戸賀湾を出発して、ワインディングを楽しみながら目指そう。


五社堂の階段。


五社堂(の一部)。


鬼がさしたという杉。わずかに破片が残る。
 

●姿見の井戸

 

 赤神神社五社堂の境内に、姿見の井戸がある。その井戸に姿を写して見えなかったときは、3年のうちに命を没すと言われたという。

(現地説明版より)

 少々怪談めいたお話。もし姿が写らなかったら・・・と思うと、伝説とはいえちょっと動揺するかもしれない。度胸のある人は、試してみてはいかが?

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男鹿市船川港本山門前。五社堂境内にある。看板も立っているので行けばわかるだろう。


姿見の井戸。


●鬼の隠れ里

 

 寒風山の中腹に、大石がピラミッドのように重ねられたところがある。石倉とか隠里とか言って、むかしこの辺りにすんでいた鬼たちがせっせと石を積み上げて奥の間に寝泊りしていたのだという。

(現地説明版より)

 寒風山山頂から西へ降りてくると、道端に「鬼の隠れ里」の標識がある。
 見渡せば一面のススキ原。その中を通る一本道をトボトボ歩いていくと、やがて巨大な石の塊が見えてくる。鬼の隠れ里である。その奇観はまさに人間ならざる存在を感じずにはいられない。この山にすむ鬼たちが、ワイワイ騒ぎながらこの石を積み上げていった姿が、目に浮かぶようである。

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男鹿市男鹿中滝川。ちょうどこのあたり。東側の道路沿いに、ちょこっとした標識が立っているので、見逃さないようにしよう。


鬼の隠れ里。


●古玉の池

 

 古玉の池は、お玉というふもとの村の娘が、村主の誘惑を退け池に身を投じ蛇となったので、名づけられたという。姫が岳を蛇越長根というのは、火口の内壁に露出している溶岩が、お玉が変じた蛇が通った跡を思わせるからだという。

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男鹿市男鹿中滝川。寒風山の展望台から西へ降りてくる途中にある。


古玉の池。


●竜髭払子

 

 大竜寺の老禅和尚の枕元に、夜毎に美女が現れて座り続けるようになった。さすがの和尚も時には気を奪われそうになったので、ある夜、美女が現れたときに「諸行無常・・・喝ーッ」と気合をかけたところ、美女は泣きながら「わたしは日本海に住む竜神だが、こうして女子となる業性の苦患から逃れたいために8夜通い続けたが、今夜、菩薩戒と血脈を授かったお礼に、寺の井戸に水をわかします」といって、自分の頭髪を切って禅僧に捧げた。この頭髪でつくったのが竜髪払子といわれる。

 後年、日照りが続いて大飢饉に見舞われそうになったときに、当時の住職が海に舟を浮かべて寺宝の払子を用いて雨乞いをしたところ、たちどころに雨が降り出して男鹿の人々は飢饉から救われたのだという。その後、同じ寺宝の昇竜の軸を山形県は善宝寺に入質したため、竜神の怒りに触れて雨乞いの霊験を失ったという。(角川)

 大竜寺はかつて安東氏の菩提寺で、かつては女川にあったという。竜髭払子の伝説は、雨乞いの儀式が実際に行われていた名残であろう。



●能登山

 

 むかし、北前船に乗ってきた能登の若者と男鹿の娘が恋に落ちた。若者は、来年の春には椿の実を持って帰ってくると約束しこの地を去ったが、次の秋にも、そのまた次の秋にもとうとう帰ってこなかった。

 そのころ村には、若者の北前船が難破したらしいとの噂がひろまったが、娘はそれを信じず3年間待った。しかし若者はやはり帰らなかった。寒い冬が男鹿半島に訪れたころ、若者は噂どおり死んだものだと思い込んで、娘は能登山から身を投じて死んだ。村人たちはその恋心に同情し能登山の頂上に娘の墓を立ててやった。

 ところが、能登の国で仕事におわれ帰ることができなかった若者が、4年目の春にようやく思いがかない、約束の椿の実を持って男鹿にやってきたが、娘の死を知らされた。悲しんだ若者は能登山の娘の墓のまわりに椿の実を蒔き、自分の代わりに墓を守ってくれと祈り去った。やがてその実が芽吹き、全山を覆うようになったのだという。

 昔は旅人がこの山に登ると嵐になるといって登らなかったものだった。(角川)

春になると全山が椿の花で覆われる能登山。能登山の椿は国の天然記念物に指定され、かつては日本北限の椿の自生地とされていた(今は違うらしい)。
伝説は、かつてこの地が北陸との交流があったらしいことを物語る。船人と港の娘の悲しきロマンスというのも、きっといくつもあったに違いない。

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