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■湯沢市の伝説■

●小町堂

   

 今より約1200年前、出羽郡司小野良実が小野居城の時、土地の豪族の娘大町子と結婚して生まれたのが、平安期の歌人として名高い小野小町であるという。

 小町が9歳のときに父の任期が満ちて都へ帰り、13歳で采女として宮廷に出仕した。晩年、この里に帰ってきて90歳で生涯を閉じたという。

 小町手植えとされる芍薬塚のそばに小町堂が建てられ、周辺には小町が生まれたという古堂、父が建立して小町の像を安置する向野寺、小町臨終の地と伝わる岩屋堂、平安初期の井戸と鑑定された木田の井戸、小町母子の墓、都から小町を追ってきてこの地で亡くなったとされる草深少将の居城跡など数多くの遺構が点在している。

(『秋田の伝説』(角川)より(以下角川))

 秋田の米といえばあきたこまち。このネーミングに皆様なんとも思わずスルーしてしまっているかもしれないが、よくよく考えてみると、なぜに秋田で小町?という疑問にぶつかるんではないだろうか。その答えが、この旧雄勝町に伝わる小野小町伝説である。このサイトのカラーとは少々ずれる伝説ではあるが、はずすわけにはいかないので、とりあげてみた。

 小町堂を中心として周辺には数々のスポットがあり、小町好き(?)の方にはぜひとも巡っていただきたいものである。なお、東北地方にはもうひとつ、福島県小野町にも小町誕生地がある。

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湯沢市小野。旧雄勝町の市街地のはずれに芍薬塚がある。平安調の建物が目立つのですぐにわかる。


小町堂。


●能恵姫

    

 岩崎城主河内守道高に姫が生まれ、能恵姫と名づけられたが、100日過ぎた頃から昼夜となく泣き続けるようになり、治療もしたが何の効果もなかった。
 
ある日、乳母が泣く姫を抱いて庭の松の木下に来ると、卵形の小石を見て急に泣き止んで笑顔になったので、その石を姫の守り石としたが、それが大蛇の化身だとは誰も気がつかなかった。

 やがて姫がすくすくと育ち3歳になったころ、守り石の姿は消え姫のまわりに小蛇が現れるようになった。あるとき、女中がその小蛇に「姫の用便を始末してくれたら、大きくなったら姫をおまえにやろう」と冗談に言うと、蛇はその用便をきれいに食べてしまうので、それから毎日のように食べさせていた。

 16歳になった能恵姫は、川連城主の道基に嫁ぐこととになり、やがて婚礼の日になって行列が城を出て皆瀬川のサカリ淵にさしかかった。その時、にわかに稲妻と雷が鳴り渡り、川は濁流となって渦巻き、行列の家臣や女中は流され、姫の乗った駕籠は黒雲に包まれて行方知れずとなった。

 その後、方々を探しても姫はとうとう見つからなかった。翌春、家来の主計之助がサカリ淵のそばを通りかかると、川底から人の声がする。腰の山刀で藪を払いながら近寄ると、刀を川に落としてしまった。川に入って拾おうとすると、山刀はすっと逃げていくので、それを追いかけているうちに水のない別世界に出たが、そこに大きな岩穴があった。その岩穴を覗いてみると能恵姫がいて、「わたしは過去の因縁で大蛇に見初められ、この世の人ではなくなってしまった」と語り、櫛と笄を出して「これを父母と川連の道基殿へ形見として届けてください」と言うなり、大蛇のすむ穴奥へ入っていった。

 陸に上がった主計之助は、そのことを城主に伝えると、姫の不思議な運命に家中が嘆き悲しんだ。

 また、形見の品を届けられた川連城では、姫のために1宇を建立して竜泉寺と号し、姫とそのときの溺死者を弔ったと語られている。(角川)

 旧湯沢市・稲川町にまたがる伝説。今回は能恵姫が生まれたという岩崎城跡を探索してみた。

 湯沢市の北端、岩崎集落のこれまた北端に小高い丘があり、八幡神社の鳥居が立っている。鳥居をくぐって社殿を拝み、右手に歩くと、神社の裏手に広々とした草むらが広がっていて、ポツリ、ポツリと板碑が見えてくる。これが岩崎城跡である。

 この能恵姫の伝説は地元でもかなり有名なもののようで、城跡には姫をモデルにしたと思われる絵画や、姫を神格化した神像、卵石を沈めた井戸などがあり、見所多し。

 検索をかけてみてもいくつかヒットし、特に【こちら】「雄湯郷幻視行」はちょっと面白い。

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能恵姫の像。

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湯沢市岩崎。この八幡神社の裏手に城跡が広がる。


能恵姫のイラスト。


玉子井戸。卵石を沈めたところだろうか。


●岩崎の鹿嶋さま

 上に挙げた能恵姫伝説の探索の際、八幡神社境内にて偶然発見。「これサイコー」(by黒板五郎)というわけで、ここに紹介する。

 この鹿嶋さまは、各地に伝わるいわゆる「境の神」系の民俗神で、ワラでできた体を定期的に「衣替え」するのが特徴である。

 岩崎地区に鹿嶋さまは全部で3体存在し、かつては境の神として村境に立っていたが、時代が下るにつれてうち2体がこの八幡神社境内に移されたという。ただ、春と秋に衣替えがちゃんと行われているそうだ。
 また、千葉の国立民族博物館にも同人形が展示されているらしく、そっちの世界ではそれなりに有名なようである。

 なにはともあれ、ウンチク云々の前に、この鹿嶋さまはまずは一見をオススメする。右の写真よりもあたりは実際は薄暗く、シンと静まり返った林の中にデンと構える巨大な姿は、圧倒的である。足元に立って顔を見上げると、恐ろしい形相でにらみつけられ、思わずたじろいでしまったほどだ。

 民俗に興味のない人でも楽しめると思うので、話のネタにぜひ訪れてみよう。

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湯沢市岩崎。八幡神社の左裏手に立っている。


鹿嶋さま遠景。


足元から見上げてみる。


●愛宕神社

  

■その1

 湯沢市の中心に愛宕神社があり、田村麻呂が阿黒手(あぐろて)を攻めたときに、大神に祈って効験があったという大明神を祀っているのだという。(角川)

■その2

 田村麻呂が蝦夷の酋長悪路王征討の折、愛宕山で物見の陣をしき、愛宕神の加護を祈願して無事勝利できた。その徳に感謝して愛宕神の金像を安置して山上に堂宇を建立したのだという。
(『羽後の伝説』(第一法規)より(以下法規))


●弥蔵屋敷

  

 前森付近は今は畑になっているが、かつては弥蔵屋敷といって、誰もよりつかない土地であった。

 むかし、ここに住んでいた弥蔵という男が、ある日山でイチゴをたくさん採り、ひとまとめにしておいて川へ水を飲みにいって帰ってくると、イチゴがひとつも残っていない。傍らに小さな蛇がいたので、さてはこやつとナタで叩いたところ、突然山鳴りがして、大蛇になって襲い掛かってきた。
 
弥蔵が大蛇の口の中にキセルを放り込むと苦しみだしたので、頭にとどめの杭を刺して帰った。ところが翌日その場所へ行ってみると大蛇の姿はなく、ただ杭だけが突き刺さっていた。

 それから弥蔵は熱病にとりつかれたが、やっとのことで一命を取り留めたので、近くの小安温泉へ湯治に行ったところ、同じ湯船に大坊主が頭を布で包んで入ってきた。
 弥蔵がその原因を聞くと、「この頭は湯沢の男にやられたものよ」と言って、弥蔵をにらみつけながら消えた。

 弥蔵は湯沢に帰ったが苦悶の果てに死に、一家もことごとく絶えた。家の屋根や柱に大蛇のうろこが生えたというが、それから気味悪がって誰も近寄らなかったという。(角川)





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