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■大仙市の伝説■


●唐松神社

  

 神功皇后が三韓征伐の帰途に今の北海道を巡遊し、その帰りに暴風に合って由利海岸に漂着したときに建立したのが唐松神社であるという。神功皇后の腹帯というものが奉納されている。

 もともとこの神社は裏手の唐松山にあったのだが、藩主が領内を巡見したときにこの神社の前で下馬札を無視して通り過ぎようとしたところ落馬したため、怒って平地に神社をおろして建てさせた。
  ところが次の年にまた同じところで落馬したため、さらに下のくぼ地に下ろし竹囲いにして閉門にした。
 
その後、藩主が原因不明の病気になったときに、巫女が唐松神社の怒りがおよんでいると占ったので、さっそく閉門を解いたという。

 神社には安産の祈りがかなえられたお礼に供えられた大小の鈴が多く供えられている。

(『秋田の伝説』(角川書店)より(以下角川))


●八郎の宿

 

 むかし、上淀川がまだ宿場として栄えていたころ、毎年のように上淀川のある宿屋に1人の僧が来ると、きまって奥まった部屋を頼み、翌朝に旅立っていくときには大枚の金子を置いていった。そんなことが何年も続いたため、貧乏だったその宿屋はだんだんと金持ちになっていった。

 ある年のこと、またその僧が現れて、女中に中を覗かないように注意していつもの部屋に入った。
  ところがその女中が、毎回のことなのでどうしてだろうと夜中にこっそり覗いたところ、大蛇が金の屏風に鎌首をもたげて眠っていた。女中は悲鳴をあげて腰を抜かしてしまったが、家人たちがその声に驚いて集まってきたときには、女中を旅の僧が介抱していた。

 翌朝、その僧はいつものように大枚の金子を置いていったが、翌年からは寄らなくなり、宿屋はまた昔のように貧乏になっていったという。
  この僧こそ、八郎潟の主である八郎が田沢湖の辰子のところに通う姿であったという。
(角川)

 三湖伝説の主人公たちの中でも、サブストーリーの多さでは八郎が群を抜く。十和田から八郎潟へ向う試練の旅路や、辰子の元へ通う道程など、その足跡はあちこちに残っている。庶民はやはり八郎に親近感を覚えるのだろうか。

●米ヶ森

  

 昔、この山にまだ名前のなかったころ、1人の山男が住んでいた。体こそ大きいが、一人前の力がないので他の山男たちから相手にされず、仲間から離れて1人で修行を続けていたが、いっこうに力がついてこなかった。
  というのは、一人前の山男になるには、巨石の中に入っている石餅を食べなければいけないのだが、この山男にはその石を割るだけの力がないのだった。

 そのころ、ふもとの村に天下無敵といわれるほどの力のある米ヶ森という力士がいた。山男はこの米ヶ森の力を利用して石を割ることを思いつき、米ヶ森に力比べを申し込んだ。
  山男は米ヶ森に、「この大石を割った人が勝ったことにしよう。わしが負けたらこの山をお前にあげるし、おまえが負けたらひざまずいて3度礼をしてあやまれ」といった。米ヶ森がその石を投げつけて2つに割ると、中から出てきた石餅を食べて力をつけた山男は、米ヶ森の前に手をついて掟や石餅のことなどを語り、偽って石餅を得たことを許してほしいと頼んだ。すると米ヶ森が許したので、山男はその山を米ヶ森に譲ったため、それから村人はその山を米ヶ森と呼ぶようになったといわれる。

 また、ようやく一人前になった山男は、仲間たちのいる秋田太平山に帰っていったという。(角川)

 物語中には語られていないが、この山男、天狗山伏のことを言っているのだろうか。山に住んで力をつける修行をし、とんちでそれを達成すると力士に山を授けて太平山へ・・・。いかにもである。
 さて、そんな米ヶ森だが、高さこそそれほど無いもののキレイな姿の三角山である。さぞや里人に親しまれてきたのであろう。

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大仙市協和荒川。どこからでも目立つ三角の山である。


米ヶ森。


●爺子押(ててこおし)沢

 

 今は廃坑となった荒川鉱山のあとを通り抜けてさらに奥地に入ると、爺子押沢というのがある。

 昔、この沢の奥に炭を焼く親子がいたが、ある年の冬、連日の猛吹雪に襲われて食料も尽きたので、父親は1人で雪の中食料を取りに家に帰ることになった。留守番を怖がる息子に父は大斧を渡し、「狐やタヌキが化けて出てくるかもしれないが、もし俺の姿をしたものが来てもよく注意してみて、少しでも変だったら斬ってしまえ」と教えて小屋を出た。

 ところがその日はあまりに雪が深かったので、小屋に戻ってきたのは夜中になってからだった。しかし息子は父の姿を見ても変化だと思い込み、とうとう斧で父を斬り殺してしまった。
  翌朝になっても父の姿は狐にもタヌキにもならないので、はじめて本当の父であることを知ったという。

 このことがあってからこの沢を父(てて)殺し沢と呼んでいたが、いつごろからか爺子押沢になったという。(角川)

 悲しい結末の怪談。テテコオシと聞くとアイヌ語地名のような気がするが、物語はもともとあった地名に付加されたものであろう。


●浮島神社

  

■刈和野の綱引き行事

 西仙北町の中心地刈和野で行われる綱引き行事は、古い伝統を持っている。
  旧暦の正月15日の夜に、上町と下町に分かれ、雄綱と雌綱と呼ぶ本綱を結び合わせ、さらに長さ約200メートルの綱に枝綱・負綱・彦綱を結び、提灯を合図に綱引きが開始される。この時、上町出身の嫁は上町へ、下町出身の嫁は下町の実家へとそれぞれ戻って参加するが、この由来は次のようである。

 刈和野の浮島神社の神霊を慰めるために、毎年のように人身御供が行われていたが、御供の白羽の矢が立てられた娘はもちろん、親たちの嘆きもあまりにも深いので、村人たちは御供のほかに何かいい方法はないものかと相談した。
 
その結果、最も食料が不足する厳冬に浮島神社の竜神に食料を供え、その前でにぎやかな綱引き行事をはじめたのが、今から500年も前のことだという。

 この他、この地方は毎年のように大洪水に襲われるので、困り抜いた農民たちが神に願ってこの綱引きで追い払ってしまおうと始めたという説も伝わっている。

■弾よけ笹

 浮島神社の境内に茂っている笹は、軍人たちの身代わりになるという弾丸よけ笹といわれ、日露戦争から太平洋戦争の間に近在から出征する人たちはこの笹を身につけて戦地に赴いたという。(角川)

 この綱引き、国指定重要無形民俗文化財にしていされており、平将門の子孫長山氏の氏神を祀るために始まり、上町・下町の市場開催権がかけられているのだという。

 ・・・というと上記の人身御供の伝説は随分と毛色が違うが、町の西に雄物川が流れていることを考えると、雄物川氾濫を浮島神社への御供に置き換えているのではないかと思われる。それで川の氾濫=竜神が出てくるのではないだろうか。

 毎年2月10日に行われているこの綱引き。興味のある方は見学に行かれてはどうだろうか。

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mapion 【Google Maps】
大仙市刈和野。旧西仙北町刈和野駅の程近く。


浮島神社の鳥居。


浮島神社の本殿。


●小便地蔵

 

 大昔、花館西方の神宮寺嶽の下を流れる雄物川に、ナダラの淵とよぶ激しく渦巻くところがあった。漁師たちは魔の淵と恐れたが、この淵にはいつも鮭の大群がいたため、不漁が続くと生活のためについ舟を近づけて命を失う人が多かった。
  そこで漁師たちの間で、地蔵尊を建てて淵の主の怒りを静めようという相談が持ち上がり、花館の石工にたのんで作ってもらったが、そのできばえの悪さに怒った漁師たちはそのまま川原に捨てておいた。
 
ところがその秋は鮭が1匹も上ってこないので、これは地蔵のせいだとさんざん踏み付け、小便をひっかけた。するとにわかに大豪雨が襲って大洪水となったが、翌朝はからりと晴れて鮭の大群が川を上っていた。

 その後も不漁になると地蔵尊に小便をひっかけて大漁を得ていたが、のちに淵に近い長沢にお堂を建てて地蔵尊を厚く祀るようになったといわれる。 (角川)


●蛍の化身

 

 川の目はかつて船着場でにぎわっていたが、金持ちばかり襲って貧しい者は襲わないという九郎兵衛という盗賊がいた。

 長い間つかまらずに仕事を続けていたがある時ついに捕らえられて磔刑となり、女房と2人の子供は生き埋めにされた。
  生きながらにして埋められた親子3人は、光を求めてその夜から蛍の化身となり、3匹が抱き合って飛ぶので火の玉のように明るかった。蛍の飛ばない夜には九郎兵衛の火の玉が飛ぶので、大曲の人たちは気味悪がって外出する人がなくなったため、村人は川の目の船通寺の住職のところへ、九郎兵衛親子の供養を頼みに行った。
  住職が親子の塚の前で三部経で供養をはじめると、親子蛍が飛んできて経文を照らしてくれるので、読経は明け方まで続けられた。そして翌朝の夜からは蛍の姿も火玉も消えたという。

 今も九郎兵衛塚は無縁の墓として残っているという。(角川)

 蛍の光を火の玉に見立てた話。夏の夜、ほのかに光りながらゆっくりフワフワと飛ぶ蛍を見ると、やはり火の玉や人魂が連想される。物寂しい場所ならなおさらだ。
 蛍はキレイな水辺にしか生息しないが、現在この辺りはどうなのだろうか。

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大仙市川目。旧大曲市市街地の南はずれ。まわりは非常に狭い道なので注意。


船通寺。


●姫神山

 

 花館の対岸にある松山には鶴羽形城があって、城主は安倍氏であった。義家はこの城を攻めたが、難攻不落なので長期戦をとり、城を取り囲んだ。

 安倍氏の娘鹿姫は義家の姿に心を奪われ、やがて秘密の道をたどって義家のもとへ通うようになり、姫は懐胎した。これを知った安倍氏は怒って姫を牢に入れたが、姫は牢内で義家の男の子を産んだ。
  乳母は母子を哀れに思って逃したところ、父は「こうなればしかたなし、母子を捕らえて生きながら土の中に埋めよ」と命じた。母子が生き埋めにされたのが姫上山の山頂だという。

 稜威ヶ嶽から神宮寺嶽に通ずる道に偲び屋根というところがあるが、これは鹿姫が密かに通ったところから起こったという。また、姫上山の山頂に白い旗がたくさん立ち並ぶことがあるというが、これは生き埋めにされたしか姫の子の怨霊が立てるものといわれ、この旗を見た者は3年のうちになくなるとも伝わっている。(角川)

 安倍貞任の娘と義家の密通譚はよくあるが、どうしてこんな場所にまで・・・というほどあちこちにある。ところで山上に上がるという白旗、やはり源氏の怨念ということだろうか?

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大仙市南外。旧大曲市街地から雄物川を渡ると正面に見える。


姫神山。


●矢止山

 

 中仙町の町外れに、小高い山々が連なり、桜と鈴虫で名高い八乙女公園がある。前九年の役の時、安倍貞任がここにたてこもり、義家の放った矢を両手で受け止めたことから、矢止山と呼ばれていたのが、八乙女となったという。(角川)

 秋田県内でも桜の名所として有名な八乙女公園。行ってみるといかにも山城跡のような雰囲気で、観光本やホームページなどでは貞任・義家の古戦場跡だと紹介されている。
  ・・・が、そんなわけはない(^^;。ただ、同時代の何らかの遺構なのであろう。

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大仙市長野。ちょうどここに小高い山があり、八乙女公園となっている。


八乙女公園の山。


●立岩の洞窟

 

 長野山に立岩という絶壁がある。この上に洞窟があり、むかし鬼が棲んでいたのだという。

参考 『秋田の伝説』(日本標準)

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大仙市長野。この位置が長野神社里宮で、北西に長野山が見える。


長野神社の里宮。

長野山。


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