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■由利本荘市の伝説■


●市蔵伝説

   

 西目に生まれた市蔵は、若いときに西目潟の主から20人力と湖水渡りの術を授けられ、お守りとしてからだから離さないようにと小さな藁人形をもらった。

 壮年となった市蔵は人々の人望も厚く、西目・子吉・鮎川3郷の長となったが、政治手腕もさることながら、兵法一道の達人としても知られていた。
  ところが、隣の院内と西目の境界争いが起こり、ついに西目方17ヶ村と、院内方53ヶ村の争いへと発展したが、敵方の体長は市蔵の愛弟子・斉藤星次郎であった。
  星次郎は戦いの時に市蔵方の捕虜となったが、市蔵は情けに負けて星次郎をそっと帰してやった。ところが翌日、星次郎は再び先頭に立って襲ってきたが、極意の忍術を星次郎に見破られた市蔵は、愛弟子に斬られて果てた。
  市蔵がいつも懐に入れていた藁人形は、この日は机の上に忘れられていて、血に染まって倒れていたという。

(あるいは、わら人形の様子を見守るようにと妻に託して行ったが、妻が物売りに気をとられている隙に血に染まって倒れていたという。)

 この市蔵を祀ったのが市蔵神社で、社殿入り口には沼田市蔵と刻まれた碑が立っている。

(『秋田の伝説』(角川書店)(以下角川)・『秋田の伝説』(日本標準)より)


●泣きケヤキ

 

 本荘と石脇の間の子吉川には由利橋が架かっているが、昔大渡橋と呼ばれる木橋が架かっていたころ、本荘側の橋のたもとに泣きケヤキという大木があった。
  その下に冷たい清水の湧く井戸があって、土地の人たちはその2つを結びつけて縁結びの神として祀っていた。

 ところが明治時代になって秋田と本荘間に電信架設工事がはじまり、邪魔になったそのケヤキも切り倒されることになった。ところが、ケヤキに斧がいれられる前日の夜中に、ケヤキから女のすすり泣く声が聞こえ、その泣き声が井戸の底に吸い込まれているのを何人もの人が聞いた。
  それからほどなく、満点の星空に黒雲が広がり、やがて豪雨となって大渡橋も嵐に包まれた。
  その翌朝、ケヤキの一番大きな枝が折れて、黒い血のようなものが折れ口から流れ出て井戸に落ち、井戸の水を真紅に染めていた。結び神の怒りを目の当たりに見せられて伐採は中止となったが、その後も雨の日にはケヤキが女の声で泣くのが聞こえたという。

 だが、現在の由利橋が架けられるときにこのケヤキが再び邪魔になり、神官がねんごろに御祓いをしてから倒したのであった。(角川)


●小坊ヶ池

 

 西出戸町の裏手にある小さな沼は子坊ヶ池といわれ、沼の主である大蛇が近くの高正寺の住職の力を借りて昇天しようとしたところを盗み見に来た小坊主が、大蛇が昇天すると同時に沼に吸い込まれてしまったので、この名がついたという。
  寺は今はないが、この沼を魔の沼と呼ぶ人もいる。
(角川)

 悲しい結末の怪談。テテコオシと聞くとアイヌ語地名のような気がするが、物語はもともとあった地名に付加されたものであろう。

●両頭の大蛇

 

 小友の北の股から約4キロのところに七竜山という景勝地があって、そこからさらに2キロほど奥に、両頭の大蛇を祀る両頭神社がある。

 この物語は江戸時代の初めころというが、小友に住む孫左衛門と小万は将来を誓う恋仲であった。
  ところが北の股には昔から、正月の15日に戸抜台淵の主に1人の娘を人身御供する習慣があって、その年は小万の身の上に白羽の矢が立てられたのであった。
  白無垢に身を包んで駕籠に乗せられた小万は、嘆き悲しむ両親や村人に送られて戸抜台淵にかつがれていった。そんなことを知らない孫左衛門は、その夜も小万と会いたさに北の股に来てその話を聞いた。
  驚いた孫左衛門は村人が引き止めるのも聞かず、小万を助けようと愛銃を方に淵へ駆けつけた。そこには生贄の台座に乗せられて失神している小万の姿があった。孫左衛門は急いで小万を引きおろして白無垢を剥ぎ取り、自分で着こむと台座に座った。
  ちょうど九ツ時(夜12時ころ)、沼がざわめいたかと思うと、ものすごく光るものが近づいてきたので、それをめがけて火縄に点火して撃ち込んだ。

 翌朝、2人の身の上を心配して淵に来た村人たちは、2人の無事な姿を見て喜んだが、淵の水は大蛇の地で赤く染まっていた。その主というのが頭が2つもある大蛇であった。

 村人が両頭大蛇の祟りを恐れて建てたのが両頭神社であるといわれるが、孫左衛門と小万はその後めでたく結ばれたという。(角川)


●乳房の銀杏

  

 東由利町蔵字岩館に諏訪神社があり、その裏に乳房の銀杏と呼ばれる巨木がそびえている。

 大昔のこと、この岩館に城があって、小笠原蔵人という人が城主であったが、夫婦は子宝に恵まれなかった。蔵人には静江という愛妾がいたが、奥方は2人の関係を知っていても決して顔には出さず、いつも静江に声をかけては面倒を見ていた。
  奥方は村の鎮守様に夜参りをして、子どもを授けてくれるように願い続けた結果、ようやくその願いがかなって男の子を産んだものの、乳が1滴も出なかった。奥方は産床から乳を授けてくださいと鎮守様に嘆願したが、ある晩のこと、枕元に1人の女性が座ると、「奥方様にお世話になったお礼に、乳を差し上げます。これを煎じて飲んでください」というなり、姿が消えてしまった。
  奥方は不思議に思いながらも、女から渡された木片を煎じて飲んだところ、乳が出るようになったが、愛妾の静江が血に染まって倒れているのが発見された。静江は奥方の顔を見ると、「奥方様、お乳が出ましたか。わたしは鎮守様の境内の銀杏の精です。さようなら」と言って息が絶えたが、静江の乳房はそっくりと切り取られていた。
  ところが、静江の遺骸を葬ってやろうとしたところ、静江は消えて真っ赤な1枚の銀杏の葉があるきりであった。それからこの銀杏は、乳房の銀杏とよばれるようになったという。
(角川)

 古い銀杏には、「気根」といって乳に似た根が幹や枝から垂れ下がる現象が見られ、これが女性の信仰を集めることがある。この銀杏もその例であろう。

●河童丸

  

 須合田に、河童丸という宝刀があって、正月の11日だけ一般の人にも見せている。

 玉米というところに石沢川が流れ、大巻淵というよどみがある。ここの河童がイタズラ好きで、川にやってくる馬を深みに引きずり込んで村人を悩ませていた。

 ある時、村一番の長者の九郎平が馬を連れてやってきた。河童がまた馬のしっぽをひっぱったとき、突然馬が走り出し、河童は川原を引きずられて死にそうになった。

 河童は宝物の刀を指しだし許しを乞うた。それがその刀である。

(角川)(『秋田の伝説』(日本標準))


●瑞光寺の伝説

   

■万箇将軍

 大昔のこと、藤原鎌足の息女白女が唐に渡り、高宗皇帝の妃となった。長い唐での生活の中で白女は望郷の念が禁じがたくなったので、万箇将軍を日本につかわして、三種の宝物(不思議な玉、水のかわかない硯、ひとりでに鳴る琴)を朝廷にさ しあげると同時に、日本の国状を見てもらうことになった。
 ところが、讃岐の国の志度の浦にさしかかった時に暴風に会い、不思議な玉を失ってしまった。上陸した将軍がこのことを鎌足に告げると、それを伝え聞いた乳のみ子をかかえた一人の海女が鎌足に面会を求めて来て言うには、「それは海に住む悪竜のしわざである。わたしがその玉を取り返してくるから、この子が大きくなったら家来にして下さいと頼み、小刀を抜いて海中に飛びこんでいった。
 海の底深くに宮殿があって、そこには八大竜王がずらりと並んで玉を守っていた。海女が観音様を念じたところ、竜王が左右にパッと退いたすきにその玉を奪い、泳ぎ戻ろうとすると竜王たちが追ってきた。海女はこれまでと観念して小刀で自分の乳房を切ひひらき、その中に玉を隠して海面にのがれ、鎌足の前で乳房から玉を取り出したとたん、黄泉の国へと旅立っていった。
 ようやく任務を果たした万箇将軍は帰国の途についたが、途中で大時化にあって乗船はくつがえり、由利海岸に漂着した時に将軍の息は絶えていた。由利の人たちは将軍のなきがらを火葬に付したところ、その煙は紫雲となって遠くになびき、垂示したところが瑞光寺だったので、この地に将軍の遺骨を埋葬したのだという。

■化物問答

 今から三〇〇年ほど前のこと、夜な夜な本堂に化け物が現われ、ゴーンと半鐘の音、ポクポクと木魚、プクプクと読経のような声を出して騒ぐのであった。和尚も困って、ある晩、騒ぎの最中に本堂に入ってパッと明かりをつけたが何物の姿も見えず、どこからともなく、「一足、四足、八足の畜生、これいかん」と門答がかかったが、和尚は答えることができなかった。
 ところがある初雪の朝、庭に一本足のキジの足跡、狢の大きな足跡、蟹の足跡を見つげた和尚は、とたんにハッと悟った。 蟹は蟹沼に住む大蟹、狢は中山に住む大狢、一本足のキジは猟師に片足を撃たれたが生きて年功を経た鳥で、地元でも評判の高い三径物であった。本堂の破れたところから入りこみ、キジはくちばしで鐘を鳴らし、狢は尾で木魚をたたき、蟹はプクプクと泡を出して読経をまねていたのだった。
 そこでまた本堂が騒がしい夜、和尚が本堂に入っていくと、二足、四足、八足の畜生、これいかんと問われた。和尚はすかさず、二本足のキジ、中山の狢、蟹沼の大蟹じゃ」と叫んだところ、堂内はしんとなり、その後は堂内に化け物は現われなくなったという。 (角川)

 いずれの伝説も妙に理屈っぽく、寺が直接伝播に関わっているかのように思える。寺の開山は1492年(明応元年)らしいが、明らかにはるか昔の伝説。前身となる施設があったのかもしれない。

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由利本荘市町村。寺の境内に「万箇将軍の墓」の伝説を示した看板がある。


瑞光寺山門。


万箇将軍の墓。


●蟹沼

   

 昔、町村の中山に蟹沼という大きな沼があった。

 この沼の近くに長者がいて美しい娘が生まれたが、夜泣きの癖があった。困った乳母は庭園の池にいた子蟹をとってきておもちゃにさせたところ、娘の夜泣きは止まり、すくすくと成長した。蟹も娘から食べ物を与えられるので大きく成長し、蟹一族も無数に増えた。
  蟹は近くの沼に移ったが、ある嵐の晩、どこからともなく現れた大蛇に娘がひとのみにされそうになった時、蟹一族が来て助けたという。

 ある年、町村に住む猟師が中山へ猟に行ったが、何も獲物が見つからなかった。さては沼の大蟹が動物たちに知らせたのだなと腹を立て、藪から沼の中島を見ていると、その上に大蟹が上ってくるのが見えたので、ズドンと1発撃った。ところが、その瞬間に猟師の目に蟹がどんな姿に見えたのかわからないが、狂乱して家に走り帰るとふとんにもぐりこみ、「そら来た、そら来た」と叫び続けて死んだという。

 その蟹沼も、今は田んぼになって残っていない。(角川)

にかほ市の蚶満寺に伝わる伝説と同様で、「蟹報恩」の伝承である。

●百姓籠館

 

 長坂の稲荷神社のある稲荷森は、別名を百姓籠館といわれているが、それにはこんな由来がある。

 その昔、葛岡の権現様の森と稲荷森とは地続きであったが、そのころの川はその丘に突き当たって大きく曲がって流れていたため、洪水のたびに川の水が溢れ、民家も田畑も荒らされてしまうので、村人は非常に苦しんでいた。そこで村人たちは突き当たっている丘を掘って川の水を直通させるという、大変な大工事に取りかかった。
  この工事が始まってから、汗を流して働く村人の様子を見つめる数匹の白狐がいた。工事は難航の連続だったが、村人たちは仕事の合い間に稲荷森に集まっては工事の完成を天地の神に祈ったが、そこにも白狐があらわれて、祈祷の様子を眺めていた。
  苦闘の日が続き、通水まであとひと押しというところまでこぎつけたが、大きな岩が立ちはだかっていて、作業はなかなかはかどらなかった。そのとき、村人の祈祷が通じたのか大雨となり、たちまち大洪水となって、大岩は大音響とともに崩れ、川は一瞬にして曲流から直流へと変わり、その後は洪水でも被害はなくなった。
  村人たちは大いに喜んだが、その日を最後に白狐の姿は森の上から消えた。「あの狐は神の使いではなかったろうか」と考えるようになった村人は、森の上に小さな祠を建てて白狐を祀ったが、それからこの森は百姓籠館とも呼ばれるようになった。

  この祠はのちに稲荷神社に改められ、一般の人には拝殿が許されなかったのだが、文化7年(1810年)に藩主の命令でようやく許可になっている。(角川)

難工事を稲荷神(の使いの狐)が導くという話は多い。それほど生活に密着した現世利益の信仰であったということであろう。

●芋川

   

 大石田から小石田までのびている大きな芋のつるを村人が見つけた。これはよほど大きな芋にちがいないと芋ほりにかかったが、とても1日では掘り出せなかったので、次の日にいくと掘った部分が埋まっていた。これは不思議だと思って再び堀にかかったがダメで、次の日に行くとまた埋まっていたという。
  そんな日を5日ばかり繰り返したが、とうとう根負けして掘りかねたという。のちにその芋がひとりでに流れてきたのでその川を芋川と呼ぶようになり、芋の出た沢を芋の沢と名づけたというが、その芋が抜け出たという場所が、今も大きな穴になって残っている。
(角川)


●大根淵

 

 小関川が流れる新沢に大根淵という淵があり、この淵の東岸の小山を越えたすそにフサマ谷地という大きな沼があった。

 大根淵には大亀が主としてすみ、フサマ谷地には大蛇が主としてすみついていたが、この大亀と大蛇は大根淵で逢引を重ねていた。大きな松の根元で大蛇は大亀の胴体に巻きつきながら遊び戯れるのを、何人もの村人が見ていた。
  ところがしばらくたってから、大亀の背に赤ん坊が乗って遊んでいるのを1人の村人が見てきたが、誰も本気にしようとしなかった。
  そこで村人たちはそれを確かめてみようと、こわいので笛や太鼓を鳴らしながら大根淵に行ってみると、間違いなく大亀の背に可愛い赤ん坊が乗っていたが、赤ん坊は寂しそうにすすり泣きをしていた。そこで村人が笛や太鼓で囃したてたところ、赤ん坊も泣き止んで聞きほれていたが、夜が明けてくると赤ん坊は見る見るうちに蛇体となり、大亀とともに淵へ消えていった。

 その後は大蛇も大亀も姿を見せなくなったが、あの赤ん坊は大蛇と大亀の間の子に間違いないと語られている。だが、フサマ谷地の沼は開田されてなくなり、大根淵も今は浅瀬に変わって昔の面影はない。(角川)

「亀に巻きついて戯れる大蛇」って、なんとなく「玄武」っぽい。それが念頭にあるんだろうか。

●朝比奈石

  

 折渡峠の中腹に朝比奈石というのがあって、朝比奈三郎と巴権兵衛とが力比べをした石だといわれる。朝比奈が石を背負ったときに、腰にあった印籠のためにへこんだというところが残っている。(角川)


●小田巻山

  

 亀田駅前の小田巻山の頂上に八大竜王を祀る小神社があるが、ここには蛇の化身に恋した娘の話が伝わっている。

 小田巻山の麓にフユという美しい娘がいて、この娘のところへ毎晩のように立派な武士が通い続けていたが、素性も何もいっさいわからなかった。ところがその娘がとうとう身ごもったため、心配になった老母はある晩、武士の袷の裾に糸の枠をつけた。
  武士が帰ったので老母はその糸をたぐっていくと、小田巻山の中にある小田巻沼にその糸は消えていた。そこで初めて老母は、武士が沼の主である大蛇の化身であることを知った。

 1人娘を大蛇に奪われた老母は怨恨の怒りに燃えて沼をにらみながら、南無観世音に叡智を求め続けたところ、突然として千手観音が現れ、「娘を菖蒲湯に入れなさい。蛇は蛇を知るもののために滅ぶだろう」と言って消えた。老母は急いで家に帰り、娘を菖蒲湯に入れたところ、娘の体から無数の小蛇が出てきたという。しかも翌朝、小田巻沼の主である大蛇が、頂上で死んでいるのが発見された。子を想う親の一念が蛇を倒したのであった。(角川)


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