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■大館市の伝説■



●行者神社

 

 八幡神社の境内に、ひっそりと行者神社が建っている。

 桂城が築かれたころ、向町あたりは狩場であった。ある日狩に出かけた殿様は、獲物と間違えて白ずくめの衣に身を固めた年老いた行者を撃ち殺してしまった。
  自分の行いに深く心を痛めた殿様は、行者の倒れた辺りに祠を建ててその霊を慰めたのが始まりという。

 その後、旧大館警察署のあたりにあったのを向町に移したが、昭和31年の大火の時に荒れ狂う猛火が行者神社のところでピタリと止まったことで注目され、やがて八幡神社の境内に移したという。

(『秋田の伝説』(角川書店)より(以下角川))


●羽保屋大神

 

 昔、ある男が落ちていた鏡餅を食べたところ、みるみる間に大男になってしまった。そのめに子どもたちを育てることができなくなり、泣き続ける子どもを村人に育ててもらいたいがために農作物を荒らしたのだという。
  羽保屋大神は、その大男の悲しみを慰めるために建てたのだという。(角川)


●長山屋敷

 

 図書館近くの墓地に名も無い地蔵と庭石が転がっている。

 むかし、このあたりは長山という剣道指南の屋敷であったが、生まれた一人娘はおしであった。
  1歳になったときに近所の女の子を子守に頼んだのだが、ある日赤子を背負って井戸をのぞいていると、突然背中の赤子が声を出した。
  水鏡に映った姿を見て驚いたのだろうと思い、もう一度その声を聞きたいと思って井戸に身を乗り出したとたん、赤子がするりと抜け出て深い井戸に落ちて死んでしまった。
 
これを知って半狂乱になった長山は、子守を井戸に投げ込むとその上に大きな庭石を落として殺した。

 やがて子守の霊が夜な夜な長山屋敷をさまようようになって噂となったが、長山はその霊を弔ってやろうとしなかった。ある晩、大きな火の玉が長山屋敷に激しくぶつかり、屋敷は跡形もなく消えてしまった。
  土地の人たちは井戸の上に地蔵を立てて子守の霊を慰めたというが、そばにある大きな庭石は、長山が井戸になげこんだものであるという。(角川)

 これは角川『秋田の伝説』に写真が載っており、相当探し回ったのだがとうとう見つからなかった。ザンネン・・・。


●浅利氏の琵琶

  

 比内町独鈷に浅利氏が氏神とした大日堂が残っており、浅利氏の琵琶が宝物として残っている。

 延享のころ、盲目の旅僧が大日堂に宿を取っていると、夜半に老婆が現れて、「鳳凰山のふもとの玉林寺に、浅利の殿様が愛用した琵琶がある。浅利氏栄えし頃はよく聞いたが、滅びてからは聞いたことがない。わたしは間もなく遠いところへ行くが、もう一度その音を聞きたいので弾いて欲しい」と頼まれ、承知すると琵琶を持って再び入ってきた。
  僧は終夜その琵琶をかき鳴らして聞かせたが、朝方になると「おかげさまで思い残すことはございません」と礼を言ったかと思うと、その姿は消えて琵琶だけが残されていた。

 こんなことがあってから一ヵ月後に、独鈷の山々が地鳴りをたてかと思うと黒雲がわき、竜がその上に乗って天高く上がって行ったが、その竜がいつかの老婆であったという。(角川)

 盲目の僧に演奏をたのんだ竜は、「災害をおこす計画を僧にもらす」というのがだいたい相場だが、このように何もせずに去るパターンもあるらしい。

 ちなみに浅利氏は平泉征伐に従ってこの地に入った甲斐源氏の一族である。戦国期に秋田氏と戦いを繰り広げ、奥州仕置で大館城主の座を得たが大阪城で毒殺され滅びた。
 大日堂があるのは浅利氏の戦国時代初期の居城独鈷城跡である。

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大館市比内町独鈷。


大日堂のお堂。


●三哲神社

  

 300年ほど前、十二所に文・武・医術に優れた反面、貧しい者には惜しみなく与えるという大変人気のある男が住んでいたが、誰からも本名を呼ばれず、三哲で通っていた。十二所城代から召抱えの話があってもはねつけ、一枚下駄をはいて今の大滝温泉へ湯治へ通う姿は、十二所名物であったという。

 ある時、城代の塩谷民部重綱が病気となり、三哲に治療の命令が下ったが、日頃から権力を振り回して領民を苦しめていた城代だったので、「わたしの治療を受ければ必ず治るが、その謝礼として米10石を賜りたい」と申し出た。城代はこの条件をのんだので治療し完治したが、城代が約束を守ろうとしなかったので、上納しようとしていた米から10石だけ奪い取って貧しい人たちに施した。

 この話を聞いた城代は大いに怒り、三哲の弟子の中でも最も腕の立つ斎藤福助を手なずけ、三哲が風呂に入っているところを不意打ちにした。槍で胸を深くえぐられた三哲は、「福助ッ!裏切ったのはお前か!我の恨みは猛火となって、町を焼き尽くすぞ!」と叫んで息絶えたが、それから数日後に十二所に怪火がおこり、城下町は三哲の家だけを残して全焼した。
  三哲を殺した福助一家はその後も不幸が絶えないため、ついに十二所から逃げ出し、城代も町人の不信を買って城を追われた。

 地元の人たちは三哲の遺骸をエゾが森に手厚く葬り、祠を建ててその霊を慰めたが、それが今の三哲神社であり、山も三哲山となった。
  ご神体は石像だが、病気の祈願に来て削り取る人が多く、現在はほとんど原型をとどめていない。(角川)


えぞが森(三哲山)。


三哲神社のお堂。

里山に祀られた神社で、15分ほどかけて参拝。なかなかしんどかった記憶がある。

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大館市十二所。山の中腹に三哲神社のお堂がある。


●老犬神社

   

 旧南部領だった鹿角の草木に、代々佐太六と名乗るマタギがいた。なかでも十七代佐太六の腕は優れ、領主南部信直から天下御免の狩猟免状をもらっていたが、佐太六にはシロという子牛ほどもある猟犬がいた。

 ある日、佐太六はシロをつれて狩に出かけたが、猪を見つけて撃ったが手負いになったまま逃げるので、その後を追って三戸城近くまで行き、ふたたび猪を見つけて撃ったとたんに姿を消してしまった。そのときに三戸城の役人が現れ、「城に向けて発砲するとは不届き千万」と縄をかけようとしたので、佐太六が「わたしは天下御免のマタギ・・・」と言いかけてその日に限って巻物を忘れてきたことに気づき、言い分もままならずついに三戸城に引かれて取調べを受け、死罪と決まった。

 主人の危機を知ったシロはひたすら走って家に駆けつけ、仏壇の下で激しく吠えたので、佐太六の妻がはっと気づいて巻物を見つけ竹筒に入れ、シロの首に結んでやった。
  シロはすぐに引き返し再び主人のもとへ走り続けたが、城に着いたときはすでに遅く、刑場の露と消えてしまっていた。

 シロは主人の死体をくわえて三戸城の見えるところに運び、幾夜と続けて恨みの遠吠えをしたところが、今に残る犬吠森だという。
  佐太六の死刑で所払いにされた妻は、シロとともに秋田領十二所の葛原に住みついた。その後間もなくシロの姿が見えなくなり、近くの山腹で白骨となっているのが発見されたが、その後はその下の津軽街道を武士が通るたびに馬が狂奔して落馬し、大怪我をするという惨事が起こるので、これはシロの怨念だとわかり、葛原山腹に老犬神社を建てて霊を慰めたのだという。

 また、佐太六が三戸城に捕らわれたのは、三戸地内の山中で三戸のマタギと獲物を巡って争ったが、天下御免の巻物を忘れていたために縄張りを荒らしているとして連れて行かれたからだともいう。

 また、シロの死後三戸城下に大地震が起こり、三戸のマタギも牢番も処罰を下した代官もみな死んでしまったともいう。

(角川)・(『秋田の伝説』(日本標準)より(以下標準))

 大館といえば忠犬ハチ公の生まれた地なのだが、そのハチ公にはこんな大先輩がいたのである。犬好きなら要チェック。秋田犬ってやっぱりエライなぁ。

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大館市葛原。集落の裏にある。案内板があるわりに神社は目立たないので見つけるのに苦労した。


老犬神社。



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