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■八戸市の伝説■

●矢倉の崖

 
 南部総鎮守櫛引八幡から1キロほど先、馬淵川の流れる断崖を矢倉の崖という。
 昔、八戸藩の武士が江戸在勤中、妻が夫の妾をねたんでこの断崖から突き落として殺してしまった。その死霊のたたりで、武士の家はのちに絶えてしまったという。(『青森の伝説』(角川書店)より(以下角川))

●おほの流れ

 

 櫛引村に、酒屋を営む豪農があった。
 娘のおほのが病気のため、蔦温泉に養生へやった。おほのは昼間は湯に入らず、深夜ひとりで入浴し、誰かと親しそうに話している様子であったが、召使の女たちがうかがっても、いつもおほの1人であった。おほのの病気はとうとう治らず、家へ帰って死んだ。

 6月18日の葬式の日、葬列が寺の石段にさしかかった時にわかに暴風雨となり棺は空中に舞い上がりそのまま東南の空へ消えてしまった。
 家では八方に手を尽くして捜したところ、久慈氏の長泉寺で探し当て、そこへ手厚く葬ることにした。

 櫛引では今でも6月18日はおほの流れと言って、雨が降り荒天になると伝えている。(角川)

いわゆる「特異日」というやつか。6月18日という日付は人々の長年の経験の中から生れたものなんだろう。また、棺おけが風で舞い上がるのは「かしゃ猫伝説」の描写だが、この伝説では猫の影は見られない。もしかしたらおほのが温泉で話していたというのが猫だったのかも・・・?

●糠塚

 
 昔、八太郎沼の主に石臼をもらった人が長苗代の地を開いて長者になり、今の長者山に住んだ。長苗代からとれたモミを石臼でひき、そのモミヌカを積んだところが長者山の背後の糠塚になったという。(角川)

●足替地蔵

 
 類家の広沢寺に足替え地蔵が祀られている。これはひと月のうち15日間は左の足で立ち、もう15日間は右の足で立つのだという。(角川)

●大祐神社

  

 昔、湊に又次郎と長才という2人の漁師が住んでいて、新井田川に48の川留めをしてサケをとっていた。ある年、2人はその川留めで又次郎が1000尾、長才が800尾というこれまでにない大漁をした。

 それでこの後もこの河口でサケをとるとき「千魚(せんこ)又次郎、八百長才」と唱えながら跳ね上がるサケの頭を木の棒で叩いたという。 この2人を漁の神として祀ったのが大祐神社であるという。

 別に工藤大祐という人を祀ったからだとも言うが、因みにスケとは古くサケをいう言葉である。(角川)

「鮭のオオスケ」というと最上川の伝説が有名だが、名前こそ同じでもこちらは別の話である。冬の保存食にもなる鮭は、きっと貴重な魚であっただろう。神として祀られるのも納得がいく。

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八戸市湊町館鼻。かなり入り組んだ地形だが、なかなかご立派な神社なのでわかるはず。


●カン子の宮

 

 昔、カン子という美女が住んでいて多くの男が言い寄ったが、カン子の想う相手は1人だけだったので相手にされず、怒って彼女を捕らえ新井田川に生き埋めにしてしまった。
 それからというものそこからよく火の玉が飛ぶので、村人は「カン子が出た」と言って恐れた。

 後年、ここにセメント工場が建ったとき、お宮を建てて霊を弔った。(角川)

 早朝の八戸市。道路を走る車もまだまばらな時間にセメント工場周辺をしばらくウロウロし、出勤前のお父さんに聞いてようやく場所が判明。現在は「カン子稲荷」としてセメント工場の向かいの丘に祀られている。

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八戸市湊町ホロキ長根。八戸セメントのすぐ向かいが丘陵になっていて、道沿いに小さな鳥居がある。これがカン子稲荷の鳥居である。


●貝鞍沼

 
 かつて石堂にあった。昔、ある公卿が配流されてここまで下ったが、悲嘆のあまり人馬もろともこの沼に入水した。そのときに用いた貝摺りの鞍が沼の主になり、晴天の日には水底に見えたのだという。(角川)
八戸市石堂に「貝鞍稲荷」というのがあるので、地名の名残と思われる。

●七崎神社

  

 七崎神社は、もと七崎観音と言った。
 昔、このあたりの長者の娘が八太郎沼に棲む大蛇の人身御供になることになった。これを聞いて京から配流されていた公卿の姫が身代わりになり、沼のほとりで法華経を読んだ。
 その法力で大蛇は沼に封じ込められたが、姫もまたここで落命してしまった。長者の手で姫が観音に祀られたのがその由来であるという。(角川)

八戸の西端、五戸町に面して七崎の集落があり、南祖坊修行地の普賢院が重要伝説地であるが、そこから歩いてすぐのところにこの七崎神社がある。森には背の高い木がうっそうと茂り、歴史を感じさせるたたずまいであった。

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八戸市豊崎町。八戸市の西端である。


●八ノ太郎  

(1)新井田川をのぼった十日市というところのお藤という娘に大蛇が通って産まれたのが八ノ太郎だという。彼は若者になって仲間とマダの木の皮はぎに山へ行き、谷川でイワナを3尾とってみな食べたところ、異常に喉がかわいて川を堰き止めて水を飲みつづけた。 ついに八ノ太郎は大蛇となって十和田湖の主になったという。

(2)八ノ太郎は、下長苗代の八太郎の地から出たという。大蛇になって十和田山まで来たところ、 七崎生まれの十和田様(南祖坊)が、金のわらじの緒がここで切れたといってここに棲んでいた。 そこで八ノ太郎と十和田様が争って八ノ太郎が負けた。そのとき流した血が十和田湖の赤い山(御倉山)になっているという。

(3)八ノ太郎が階上岳から投げた岩が、八戸の松岡の薬師森の丘を越えて、十日市に落ちた。 その岩に八ノ太郎の手形がついているといわれる。(角川)

青森・秋田の広域にわたって伝わる八ノ太郎(八郎太郎、八郎)の伝説。八戸周辺にはライバル南祖坊生誕地や修行地などもあって、殊に多い。馬淵川河口北岸にはかつて「八太郎沼」があり、八太郎の地名が今でも残る。三湖伝説は、きっとこの地に深いつながりがあるに違いない!

●八郎と太郎

 
 島守の相畑と不習(ならわず)の道が出会う下手に、寺久保というところがある。ここに秋田から落ちてきた八郎と太郎の兄弟が住んでいた。
 ある日、2人が山で木を切っていた。昼になって近くの沢でイワナをとった太郎がそれを焼いて食ったところ、急に喉がかわいて仕方が無い。とうとう川水に口をつけて飲むうちに、蛇体に変わってしまった。
 そこへ帰ってきた八郎は、この有様を見てビックリしたが、太郎はそのまま川を下って島守に出、川を堰き止めて村中を湖にしようとした。
 これを見て島守四十八社の神々が集まり、太郎を村から追い出すことを決めた。あと1モッコ運べば島守が湖になるところを神々が襲い掛かり、戦った太郎は敗れてしまった。一度は八戸の八太郎沼に落ち延びたが、ここも追われて秋田の八郎潟まで逃げたのだという。(角川)

●鶏コ林

 
 不習から畑内へ行く道の左側に鶏コ林(とりこばやし)と呼んで、1株の桑の木がある。
 昔、ここで時でもないのに鶏がトキをたてた。村人たちが何か悪いことが起きなければ良いがと案じていると、その年はひどい凶作となった。そうしたところにまた鶏がトキをたて始めたので、いよいよ不安になり部落中の鶏を集めて生きたまま土中に埋め、鍋をその上にかぶせて魔除けにし、その上に桑の枝をさした。それがこの鶏コ林だという。(角川)

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