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■名川町の伝説■
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●三湖伝説・南祖坊誕生 |
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その昔、京の都の公家・藤原有家が、故あって陸奥の地に流されてきた。そして、この地で熊野大権現に子を授けてくださいと祈願すると、めでたく男の子が誕生し、南祖丸と名づけられた。 この子は大変利発聡明で、山ひとつ越えた七崎の普賢院で修行を積み、師匠も驚くほど学識を身につけた。 やがて17歳になった南祖丸は、名を南祖坊と改め、全国行脚の修行の旅に出た。 そして、熊野大権現の霊示を受け南祖坊は、十和田の山中で、八の太郎と戦って勝利を収め、十和田湖の守り神となるのだった。 現在も湖畔の十和田神社に、「青龍大権現」の名で、水の神豊作の神として、信仰をあつめている。 (『青森の伝説』(角川書店)(以下角川)) |
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三湖伝説の主役の1人「南祖坊」の誕生にまつわるエピソード。藤原家の人間がこの地にやってきたことは歴史上確かなことのようで、南祖坊が実在する人物だとすれば、その血を引いていることとなる。 南祖坊は後に十和田湖の八郎太郎と戦い、これを撃退することになるのだが、これはもしかすると、この奥州の地にもともと住んでいたエミシのような原住民を、京からやってきた大和民族が追いやったという歴史を神話的に表現しているのではないだろうか。つまり、原住民の象徴として、荒々しくも野性味あふれる八郎太郎がおり、侵略者の象徴として、貴族の代表格である藤原の血を引き、仏法を操る南祖坊がいるのではないかということである。これは、考え出すとなかなかおもしろい。 さて、南祖坊が育った斗賀部落に、斗賀神社がある。これが別名「霊現堂(よぎどう)」と呼ばれ、南祖坊を祀っているという。一見、普通の神社なのだが、裏山の山道を延々10分ほど登っていくと、奥の院のような形で「十和田神社」という小祠があるのだ。これが青龍である南祖坊を祀っているというわけである。 南祖坊の出身地にあるこの「十和田神社」。形こそは小さいものの、十和田湖にある十和田神社よりも格が上、大元締めということになる。傍らには、南祖丸の産湯に使ったという池もあり、三湖伝説探訪には欠かせない地であろう。 斗賀部落から北へ数キロ、八戸市豊崎町というところに、南祖坊が子供のころ修行したという普賢院がある。ここにはおそらく南祖坊だと思われる大きな石像があり、なかなか見ものだ。 ★ ★ ★ |
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