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■三戸町の伝説■

●河童のいぬ川

 

 昔熊原川に河童が棲んでいて、あるとき馬を川に引き入れようとして手綱を体に巻きつけて引っ張った。 ところがびっくりした馬が逆に河童を引きずったまま厩に逃げ込んでしまった。
 しかたなしに河童は厩の中のトナ舟(肥料桶)をかぶって隠れていたがとうとう家人に見つかってしまった。家人は早速紫の麻布で河童をたたいたら、河童はおとなしくなって詫びたので、2度とこの川に棲まないことを約束させて逃がしてやった。
 以来、熊原川に河童はいないという。また、紫の麻布は魔除けだと言われている。
(『青森の伝説』(角川書店)より(以下角川))

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三戸郡三戸町。町内を斜めに走る川が熊原川である。


三戸町内より、熊原川。


●蛇沼

  

 昔、この沼のほとりに大蛇が横たわってよく村人を困らせた。
 あるとき、千葉政義という土地の豪族がここを通りかかって、一刀のもとに大蛇の首を斬りおとした。首は2キロ離れた森の中に落ち、以来そこを蛇森といい、沼を蛇沼と言ったという。(角川)

 三戸町内から小遠辺川沿いの細いバス通りを走ること数キロ、蛇沼にたどり着く。小さな商店に入って聞いてみると、現在、蛇沼という地名が残るのみで、沼自体はなくなってしまったそうだ。が、蛇森は少し離れたところにあって、その容姿はおがむことができた。

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三戸郡三戸町蛇沼。記憶があいまいで申し訳ないのだが、たしかこのあたりが蛇森だったと思う。


蛇森の風景。


蓑が坂沼   

 沼尻のはずれにあった。この沼に棲む主は大蛇で、雨が降りそうになると沼の近くの坂に蓑と笠に化けてかかっていた。そして、通りがかりの人が雨に困ってこの蓑と笠を着ると、そのまま沼に引き込まれてしまうのだった。

 南部の家来玉山兵庫という武士がこれを退治しようと馬に乗ってやってきたが、主は見当たらず、1本の大木が浮いているのを斬った。するとその大木は大蛇の姿を現して死んだ。

 兵庫は馬の鞍を沼に沈め、以来この沼を鞍沼と言うようになった。 また、沼の傍らにお堂を建て、これを鞍沼明神と言うようになったのだという。(角川)

 いわゆる「特異日」というやつか。6月18日という日付は人々の長年の経験の中から生れたものなんだろう。また、棺おけが風で舞い上がるのは「かしゃ猫伝説」の描写だが、この伝説では猫の影は見られない。もしかしたらおほのが温泉で話していたというのが猫だったのかも・・・?


●まん子沼

 
 梅内に里屋敷と言って、昔長者百姓が住んでいた。
 あるとき麻布を庭いっぱいに干しておいて、下女のまん子がひとりで留守をしていたが、夕方になって長者が帰ってみると布が1反足りなかった。盗んだ疑いをかけられたまん子はとうとう沼に身を投げて死んだが、あくる日になって長者の雄牛が布を吐き出し、そのまま沼へと沈んでいった。
 それからというもの、村の夜泣坂の柳の下に夜な夜な女の幽霊が現れ、そこを通る女の頭にかぶる手ぬぐいを奪うのであった。これはきっとまん子の怨念であろうと、村人はまん子沼のほとりにお堂を建ててくしやかんざしを備えて供養した。それっきり夜泣坂の幽霊は現れなくなったという。(角川)

●旅人坂

 
 昔、1人の旅僧が猿辺から三戸の町まで越えようとして坂にさしかかった。するとにわかに山賊が現れ、鱒を持ってきたかと言った。そのころ猿辺川からは、鱒がたくさんとれたのである。
 僧は魚類は持っているはずがないと言うと、山賊は怒ってフジづるで僧を木に吊るし上げてしまった。僧は死に際に、このあたりのフジの花は咲かせないと叫んで死んだ。
 それからここを旅人坂と言ったが、僧の呪いでフジは咲かなくなったという。(角川)

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