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■七戸町の伝説■

●姫が塚

 

 昔、七戸城のお姫様が、身分の卑しき者と恋仲になった。しかし、それが殿様に知れると、殿様は怒り、姫は殺害されてしまったのだった。
 姫の屍は城の片隅の丘に埋められたが、姫の恨みは消えず、雨や風の夜には松の木の間に、姫の美しい姿が現れるという。 (『青森の伝説』(角川書店)(以下角川))

 国史跡の七戸城跡は、別名を柏葉城とも言い、七戸神明宮や公園が整備されている。この日はたまたまこの神明宮の祭りの前日だったようで、神社では人が集まり、祭りにむけ準備が進められていた。神社のおばあさんに姫塚について尋ねると、すぐに答えは返ってきた。そして、そのまま子供たちに案内され、城の西部(だったはず)の一角に塚を見つけることができた。

 公園の高台から階段を下り、木が茂るちょっと不気味な空間の中に小高い土盛があり、その前に「姫塚」と書かれた碑がある。おそらく、この土盛が姫の塚なのだろう。文字の鮮明さからして、碑はそれほど古くないものだろうか。花が供えてあり、伝説の健在さを物語っていた。歴史色の強い伝説なので、残りやすかったのだろう。

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上北郡七戸町七戸城跡。城跡の片隅のうすぐらい林の中に塚が残っている。


姫塚。


●逆さ杉

 
 榎林というところにある。ここの長昌寺が建てられたとき、境内の大杉を切ると、切り口から血が流れ出し村人を驚かせた。 その大杉が倒れたおりに、大枝が地上に突き刺さったまま折れたが、それに自然と根がついたのであるという。(角川)

●行人塚

 
 天間館にある2本の槻の木は樹齢1000年になるといい、坂上田村麻呂の手植えであるという。 この木の下に行人塚とよぶ塚がある。 昔この村にやってきたひとりの行者が、宿を貸す家もなかったのでこの木の下に棺を埋めて生きながら仏となった。 そのおかげで村には流行病がないのだという。(角川)

●壷のいしぶみ  

 みちのくに「つものいしぶみ」というのがあり、そこは日本の果てであるという。 田村将軍東征のおり、弓の筈でこの石の面に日本中央と書き付けたので、石文といった。 石の面の長さは4、5丈ばかりにその文が彫り付けられていて、そこを壷と呼んでいる。それをつもともいう。

陸奥の奥ゆかしくぞおもほゆる 壷のいしぶみそとの浜風(西行法師)

(角川)

 かつて壷のいしぶみは多賀城にある碑と混同され、かの松尾芭蕉もその碑を見て涙したのであるが、本物はつぼ村(現在の天間林村)周辺に埋もれてあるに違いないと、半ばミステリーのように語り継がれてきた。それが昭和に入ってから、ある男性がひょんなことから掘り当てたのが現在に残る「日本中央の碑」である。

 今は天間林から4号線を走って東北町に入ってすぐのところに小さな建物が建っていて、その中にパネルなどと一緒に石が飾ってある・・・らしい。というのも、僕が行ったときにはもう夕方5時を過ぎていて、建物が閉まっていたのだった・・・む、無念。



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