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■むつ市の伝説■
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●川端観音 |
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田名部の常念寺に観音様が祀られている。 近くの明神川で子供たちがたびたび河童にさらわれたので、子供を守るように勧請された。 お堂が川のほとりにあるので、川端観音と呼ばれ、子授けの観音としても信仰されている。(『青森の伝説』(角川書店)より(以下角川)) |
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田名部の町中にある川端観音。河童が出たという明神川は、今でも確かに観音堂のすぐそばを流れていたのだが、整備済みで、河童が現れそうな気配はまったく無かった。 なお、この川端観音は、奥州の観音巡りに含まれており、訪ねてくる人も多いようだ。また、常念寺の本尊もなかなかのモノなのだそうで、お寺の方に案内され見させていただいた。 ★ ★ ★ |
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●恐山 |
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ここは、自覚大師の開基であると伝える。承和5年(838年)、大師が中国五大山で修行中の霊夢に感じ、帰朝後この地に来て、地蔵像を刻み安置して、この霊場を開いたという。 |
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荒涼とした風景、イタコによる口寄せ、カラカラと回るセルロイドの風車・・・。伝説があるから尋ねるとか、景勝地だから行ってみるとか、そういう次元の問題ではない。東北屈指の大霊場として、恐山は一度とらえた人の心を決して離さないのだ。そこへ行けば、誰もが幼心に帰り、地獄への恐怖と祖先への感謝を感じる。そして、それが迷信かどうかなど、どうでもよくなっている自分がいる。そこでは、そんなことを問うなどナンセンスなのである。 とにかく、1度そこへ足を運んで、時間は気にせず、ゆっくりと自分をその風景の中に溶け込ませてみると良い。この世の果てを擬似的に体験した体は不思議とリフレッシュされ、明日からまた改めて生きていこうという生命のエネルギーが、ふつふつと沸いてくることであろう。 ★ ★ ★
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●鯛島 |
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この島は、8月15日の夜に城が島(むつ市)の沖に移動するといわれた。それは鯛島の弁天様が城が島の雄神のもとに通われるのだという。
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義経、頼義、義家、そしてこの田村麻呂。下北の地は、さながら東北英雄譚のるつぼである。 島が移動するという伝説は、なんらかの自然現象を表現したものなんだろうか。 ★ ★ ★ |
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●成長石 |
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松ヶ崎に石神を祀る社がある。 昔この村の漁師が海でナマコ引きをしたが、ナマコはかからず、瘤のある石がひとつかかった。何度捨ててもこの石がかかるので持ち帰ったところ、海岸で待っていた村人が、昨日の夢になまこ網に神石が乗るから松ヶ崎に祀ってくれるようお告げがあったという。そこで村中でお堂を建て、石神として祀った。 |
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成長する石の伝説。森羅万象に神が宿るとするアニミズム思想では、石もまた木や草と同じように生きているということである。 むつ市から国道338号線をひたすら西へ。広々と気持ちのいい海沿いの道に酔いしれながら進むと、前方に少し突き出た松ヶ崎が見える。石神さまは、その岬の付け根にポツンと鎮座している。 ★ ★ ★ |
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●琵琶石 |
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| 脇野沢の奥、九艘泊に琵琶石といって、琵琶法師に似た形の石があった。昔、源義経がここから蝦夷地へ渡ったとき、弁慶が琵琶を弾じて海上の安全を竜神に祈ったところだという。そこで北海道へ行く村人はこの石に海上の無事を祈る慣わしであった。 明治の末、津軽の者が石材採取のためこの石を割って船に積んだが、九艘泊を離れてすぐに沈没した。乗組員は助かったが、採取人だけは行方不明のままになった。琵琶石のたたりであろうといわれた。(角川) |
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●常陸石 |
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| 義経の家来常陸坊海尊がここで水ごりをとって、主従の無事と海上安全を祈ったところだという。また寄浪部落には海尊社というお堂があり、海尊が霊夢によって勧請した秋葉山の神を祀るのだという。その海尊がひそかに病人を救ってくれたという伝承もある。海尊は久しく下北の山に住み、重病人があれば訪ねてきて、窓から薬を投げ込んでくれたという。海尊の投げ薬と伝えている。(角川) | |
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●蔵平山 |
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| 滝沢部落の入口に蔵平山という岩山がある。山中に洞穴があり、この中に天狗が住んでいたという。旧暦4月8日に子どもたちがここに山遊びに行き、岩に手を当ててみてあたたかいと、天狗様が火をたいたからだと信じられた。(角川) | |
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●蘇生の松 |
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| 大安寺の近くに、稲荷様のお堂があった。ある年の大風でお堂の前の松の木が根こそぎ倒れてしまった。このことを聞いてある寺の和尚がこの木をもらいに、人夫をつれて切りに行った。ところが10日も前に倒れたはずの木は、不思議にも立ち直っていた。村人はこの蘇生の松を、稲荷様の霊験であろうといった。(角川) | |
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●赤川 |
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| 赤川の水は、その名の通り赤い。それは昔源頼義が尻屋岬の鬼を討伐したとき、家来たちが血に染まった太刀を洗ったからだという。(角川) | |
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●乗鞍の池 |
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| 大畑町に乗鞍の池というのがあった。 昔、織田信長の家来がここに下って、戦に敗れただひとり大畑に逃げ帰った。湯坂という急坂を駆け下りるとき、勢いあまって坂の下にある周囲60メートルほどの池に落ちて沈んでしまった。 このことがあったのち、天気の良い日には武士の姿が池のほとりに現れて、金銀で飾り立てた馬の鞍を日に乾かすのを見ることがあったという。(角川) |
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