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■岩木町の伝説■

●岩木山

 

(1)岩木山と黒石山の争い
 弘前の東、黒石市の奥に当たる黒森山(606メートル)は、大昔にはまだ高い山であった。

 あるとき、西の岩木山と背比べをして、どちらも自分の方が高いと主張してとうとうけんかになった。黒森山は、自分の刀を岩木山に投げつけて左肩を切り落とした。岩木山は大いに怒り、これも刀を投げつけたところ、黒森山の頭に当たって首が落ちてしまった。 それから黒森山は坊主山となり、丈も低くなってしまった。岩木山も左肩を落とされてしまったので今見るような格好になったのだという。(『青森の伝説』(角川書店)より(以下角川))

(2)岩木山と小栗山1
 大昔、二柱の神が津軽の地を支配しようとして互いに激しく戦った。この神々の戦のために山間の谷は海に変じ、川や沼は丘になるというほどの天変地異となった。今の陸奥湾がこのとき内海になったのだともいう。

 さて、この戦いの勝利神は岩木山に現れ、敗れた神は弘前市南郷の小栗山に現れることとなった。そのため小栗山の村人は岩木山に登らぬ習わしであり、また津軽郡中に降る雨は、多く小栗山の方から降り始めるのだという。 (角川)

(3)岩木山と小栗山2
 昔、姉妹の神がそれぞれ岩木山に鎮座しようとして山を目指した。途中で姉神が獅子舞の面白さに見とれているうちに、妹神のほうが先に岩木山に着いてしまった。姉神はしかたなく小栗山に住むことになったが、今でも小栗山の神は獅子舞を嫌うといい、また小栗山の人々は岩木山に詣でることをしない。 (角川)

(4)安寿と津志王
 丹後国を逃れてきた安寿と津志王の姉弟は、どちらか早く岩木山に登ったほうがその神なることを約束した。柏木町の大坊にあたる熊野神社までくると、獅子踊りがおもしろく催されていた。ふたりはこれに見とれているうち、津志王が旅の疲れて眠ってしまった。姉の安寿はそのあいだに早くも登山して、岩木山の神となった。これから大坊の人は岩木山に参詣をしないのだという。 (角川)

(5)アソベの森
 岩木山は昔、アソベの森という小さな森であった。ここに鬼が住むということが都に聞こえ、篠原の国司花の長者の御子で花若麿という人が、熊野・住吉・天王寺の御夢想により、津軽へ下り奥州勢を集めて鬼神を平らげた。
 このとき100歳ばかりの老婆がひとりの娘を連れて現れ、この後は決して人間に仇はしない。ついては娘だけは助けてほしいと嘆願した。それではと起請文を書かせ、山中の赤倉に住まわせることにした。また老婆のいるところをウバ林といった。

 その後、岩木判官正氏の姫君安寿の前がこの山に飛んできて、明神として山上にとどまることになった。それからアソベの森はたちまち今の大きな山になったという。これが津軽の旧記の伝える話である。 (角川)

(6)岩木山の姥石
 岩木山の登山道を行くと、中腹に姥石という大石がある。安寿姫の乳母が供をしてきて、ここで石になったという。登山者は、掛けてきたたすきをこの姥石にかけて安全を祈る。岩木山は女人禁制であったが、姥石まで来ることは黙認されていたという。 (角川)

(7)岩木山の錫杖清水
 岩木山山中を姥石からさらに進むと、錫杖清水という湧き水がある。夏でも歯にしみるような冷たい清水で、登山者の喉を潤し、心気をさわやかにしてくれる。昔この山にすむ万字・錫
杖という二鬼が、不浄のものが近づくのを防ぐために守っていたところだと伝える。 (角川)

 以上は全て岩木町のみならず津軽全域のシンボルである霊峰・岩木山にまつわるあれこれなのだが、実にさまざまな伝説が彩り豊かに語られていることがわかる。
 岩木山信仰の中心地・岩木山神社は県でも有数の荘厳な社で、いつでもたくさんの参詣者でにぎわっている。社殿を正面に仰ぐと、丁度その上に岩木山がポッカリ顔を出す。まさに山そのものが御神体というべき美しい造りなのである。是非ともいつかここから山頂まで登ってみたいものだ。
 さて、伝説をひとつひとつ読んでみると、岩木山との山争いに挑んだ山はどれだけあるのかとか、岩木山における安寿・厨子王伝説が神話色をおびているだとか、岩木山の大人は鬼というよりも山神の性格を持っているだとか、指摘したいことはいっぱいあるが、とりあえずここでは挙げるだけで終えておく。

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岩木山神社が鎮座するのは岩木町百沢。また、岩木山は津軽のいたるところから見える。

 

 


北側から見た岩木山。


岩木山神社参道。


岩木山神社。


岩木山神社の狛犬は鬼である。


●お銀の祟り

 
 天保4年(1833年)は凶作であった。熊島部落に石切屋があり、一家が餓死して17歳のお銀という娘だけが残った。食べ物に困ったお銀は、村人がまいた種モミをざるですくいあげ、これをこっそりと乾かしていたが、まもなく知られて捕らえられた。
 お銀は長瀬堰というところのタモの木にしばられ、どんなに詫びても許されず、とうとう夜通し泣き続けて息絶えた。これから村に不思議なことが続いて、村人の家は次々に死滅していった。これはきっとお銀の祟りであろうとうわさが広まった。
 ただ銀に末期の水を与えた老婆の家だけは、なにごともなく続いているという。 (角川)

●大人の足跡

 
 兼平山の下の田んぼに、大人の足跡だといって足形に似た大きな窪地がある。また大久保の杭止の淵の上にも、鬼の足跡石といって大きな足形がついた岩がある。 (角川)

●杭止の堰

 
 大久保に杭止の堰といって、水田用水の取り入れ口があった。ある年の田植え時に豪雨が続き、堰がすっかり破壊されてしまった。
 村人は復旧作業に努めたが、容易にはかどらない。ここに祭る水神の神主川崎権太夫は、この難儀を救おうと祈願したが、雨はますます降り続き、いかんともできなかった。そこで権太夫は、人柱となって村人を助けようと決心し、白装束をつけ白馬に乗って、「わが身が川底に沈んだらその上に杭を打ち、石俵を積め」と告げて、馬に乗ったまま濁流の中に飛び込んだ。 こうして難工事が完成し、その後はどんな大水にも堰は破れなかった。
 下流6か村の村人たちは深く感謝し、権太夫を水神にあわせ祀った。今の堰神社がそれである。 (角川)

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