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■岩木町の伝説■
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●お銀の祟り |
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| 天保4年(1833年)は凶作であった。熊島部落に石切屋があり、一家が餓死して17歳のお銀という娘だけが残った。食べ物に困ったお銀は、村人がまいた種モミをざるですくいあげ、これをこっそりと乾かしていたが、まもなく知られて捕らえられた。
お銀は長瀬堰というところのタモの木にしばられ、どんなに詫びても許されず、とうとう夜通し泣き続けて息絶えた。これから村に不思議なことが続いて、村人の家は次々に死滅していった。これはきっとお銀の祟りであろうとうわさが広まった。 ただ銀に末期の水を与えた老婆の家だけは、なにごともなく続いているという。 (角川) |
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●大人の足跡 |
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| 兼平山の下の田んぼに、大人の足跡だといって足形に似た大きな窪地がある。また大久保の杭止の淵の上にも、鬼の足跡石といって大きな足形がついた岩がある。 (角川) | |
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●杭止の堰 |
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| 大久保に杭止の堰といって、水田用水の取り入れ口があった。ある年の田植え時に豪雨が続き、堰がすっかり破壊されてしまった。 村人は復旧作業に努めたが、容易にはかどらない。ここに祭る水神の神主川崎権太夫は、この難儀を救おうと祈願したが、雨はますます降り続き、いかんともできなかった。そこで権太夫は、人柱となって村人を助けようと決心し、白装束をつけ白馬に乗って、「わが身が川底に沈んだらその上に杭を打ち、石俵を積め」と告げて、馬に乗ったまま濁流の中に飛び込んだ。 こうして難工事が完成し、その後はどんな大水にも堰は破れなかった。 下流6か村の村人たちは深く感謝し、権太夫を水神にあわせ祀った。今の堰神社がそれである。 (角川) |
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