鎌倉時代、時の執権北条時頼が東北漫遊のとき、松魚原(かつおばら。狐塚の旧地名)に野営した。
時頼は旅の疲れから眠気を催し、横になると夢を見た。夜中数千の狐が営外に集まり、悲鳴をあげ、あたかもなにごとかを訴えようとしていた。
夢から覚めた時頼は、
夏もきつ ねに鳴く蝉の唐衣 おのれおのれの行く末を見よ
と歌を詠んだ。すると、今まで聞こえていた悲鳴も止んで、ようやく明るくなる頃、営外に出てみると数千の狐がことごとく死んでいたのだった。
時頼はこの狐の屍を丁重に埋めさせた。後になって、このいわれにもとづいて立てたのが狐塚の碑である。
参考 『いわき北部史・四倉の歴史と伝説』(本多徳次・S61)