中塩字鬼馬塚のある屋敷裏に氏神様の祠があり、そこは昔、鬼馬を祀ったところであるという。
同家に伝わる古文書によると、遠い昔、首から上は馬の頭のようなものすごい鬼馬童子がいて、あるときは漁人や木こりに、またあるときは木の根や木の株に変化して人畜を害したので、人々は恐れおののいていた。特に夏井川の篠や芦の茂っている草深いところに住みついて付近を通る男女をつかみとって害したので、土地の人々は慌て騒いでいた。
ある時、畠代という毒草を植えてみると、鬼馬童子はそれを飽きるほど食べ、心身忽ち悩乱して、山野をかけめぐり、ついに中塩村の小山で狂い死んだ。そこでこの小山に死骸を埋めたので鬼馬塚という。
この古文書は宝暦8年の年号が示されており、近年までは開けると目が潰れるといわれ誰にも見せなかったのだという。
参考 『平窪郷土史』(S62)