玄翁は越後萩村生まれたが、誕生にあたって空から不思議な音がし、村人から偉い人になると噂された。 幼い時から天才ぶりを発揮し、十六歳で出家し、十八歳で悟りを開いた。師の没後は全国行脚の旅に出、正平
二十二年(1367)に会津慶徳村に入り、庵を結んだ。
あるとき、黒川(今の若松城)の城主葦名詮盛がこの地に通りかかったとき、この庵の辺りに紫雲のたなびくのを 見た。さっそく和尚を訪ねた詮盛はその知徳に感じ、慶徳寺を建立し、和尚をそこに住まわせたのだった。
その後も和尚は全国を行脚し、那須野にては殺生石を砕いた。和尚が再び慶徳寺に戻り落ち着くと、その前に
砕かれて三つに割れた石のうちの一つの霊が白狐と変じて現れ、尾を巻いてうずくまった。そして「今から護法の神となり、 ご恩に報います」といって、十一面観音の相を現じ、山に向かって飛んで行った。その残った尾が山となったので、
山号を「巻尾山」と改め、白狐の霊と稲荷神とをまつったのだという。
参考 『福島の伝説』(角川書店)『会津の歴史伝説』(歴史春秋社)