■その1
昔、会津の盆地がまだ一面の芦谷地で、芦が茂り田畑も少なかった頃、この盆地に手長・足長という者か棲んでいた。これが時々嵐を起し、雨を呼び、作物の実入りを防げ、人々から怨まれ、憎まれていた。
偶々弘法大師が諸国行脚の途中、会津に立ち回られたところ、どこへ行っても歎き、憤りの声が満ちているのを見て、人に尋ねたら、手長・足長かはびこっていて、雨や嵐を呼び起し日が照らず寒くて
五穀が稔らず、田畑も荒きれるので、皆が非常に困窮しているという。
弘法様はそれを聞いて、それなら手長・足長に会って話してやろうと、手長・足長の棲家を尋ねた。
そして「お前は色々な事ができるそうだが、大きくなることができるか、大きくなって見せてくれ」というと、自慢気に見る見る内に天まで届くような大きさになった。それを見ると弘法様は「大きくはなれたが、さて小さくはなれないだろう。俺の手の平を転がる豆粒のようには、なア」と注文を出したら、手長・足長は□借しがって直ぐさま、今度は豆粒のようになって弘法様の手の平へ乗った。
この時である。弘法様はかねて用意しておいた石の箱に、小さくなった手長・足長を封じ込め石の重蓋をはめて呪文を称えて堅く密閉し、もう出られなくしてしまった。
そして、石箱の中の手長・足長に向って「お前は今まで色々な悪さをして世の中を騒がせ、人々を困らせて来たが、神として磐梯の御山に祭ってやるから、これまでの罪亡ぼしに、世のため人のため
尽してくれ」と大磐梯の頂上に埋めて磐梯明神と崇めて祭ったのである。
■その2
(弘法様の策により手長・足長が小さくなると)
大師はすかさず、「胡麻になれッ!!喝ッ!!」と大声一番、手にした数珠を打ち下ろした。すると怪物はたちまちにして胡麻粒と化した。
大師はこれを印籠に納め、崇りのないよう護摩壇を設けて修祓した。そしてこれまで病悩山と呼ばれていたのを磐梯山と改称し磐梯明神を祭った。
その麓から南方を眺めたところ、病気がはびこって人民が苦しみもだえている相が現れているので、大師はそれから湖南へ乗り込んでいったのだという。
■その3
昔磐梯山と明神ヶ嶽に、両足をふまえて立つ「足長」と、猪苗代湖の水をすくって会津にばらまくことができたという「手長」という夫婦の化物が棲んでいた。
化物の怒鳴る声は天地に聞こえ、にらむと目から稲妻が飛び出すありさまで、人々は困り果てていた。そこへ1人のぼろぼろの衣をまとった旅僧がやってきた。
事情を聞いた坊さんは、「ならば」と磐梯山へ登り、大声で叫んだ。
「おーい足長手長、お前たちは大変いばっているようだが、できないことがあろう」
「ハッハッハ、そこでほざいている乞食坊主め、おれさまにできないことがあるとな」
「よしならばやってみろ、もしできねばお前たちは唐天竺へ行くのだぞ」
「なんのできないことがあるものか」
「それではやってみろ。この小さいつぼに2人して入れまい。どうだ」
「何をぬかす。えーいこのとおりだわ」
というと、足長手長は2人でその小さなつぼの中に入ってしまった。
坊さんはすばやく法衣のきれでせんをすると、それを磐梯山の頂上へうずめ、大石を乗せて呪文をとなえた。化物は永久にでられなくなった。会津はもとの明るく豊かな里に変わったということである。
この坊さんは弘法大師だったといわれ、里人たちはその徳をたたえるとともに、足長手長の供養としてこれを祀っている。今でも雪の降るころになると稲初穂(いなばち)を集めておそなえする風習が残っているのである。
参考 『会津の伝説』(会津民俗研究会編著、S48)