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如蔵尼  
 

 かの平将門の第三女、のちの如蔵尼は、心優しく、詩歌管弦に通じ、姿かたちも美しい姫君であった。 そのため方々から結婚を申しこまれ、父もどうにかして娘を嫁にやりたいと考えていたが、姫はそれを かたくなに拒むのであった。

 そのうちに父の将門は反乱を起こし、ついには討たれた。娘はその難を逃れ、恵日寺の傍らに庵を結び、 一人静かに暮らすようになった。
 そうしているうちに、娘はふとしたことで病にかかり、そのまま世を去ってしまった。
 冥府では多くの罪人が これから訪れる地獄の処罰に泣き悲しみ、その悲愴さは耐えがたいほどであった。
 その時、娘は左手に錫杖、右手に巻物を持った一人の僧が罪人たちの間を忙しく行き来しているのを見た。 「ああ、お地蔵様だ」と、罪人たちはその僧にすがり、おのおの救いを求めた。
 娘も、その元へ行くと合掌し、 「南無帰命頂礼地蔵菩薩」と三度唱えた。すると地蔵菩薩はその娘の大善人であることに気付き、さっそく閻魔大王の所へ行き、「この女人は、大変信仰の厚い者です。それというのも、女性でありながら男淫の業が ないからでありましょう。すぐに俗界に戻し、なお一層の善根をつませてやりたいのですがいかがなものでしょうか」 とお願いした。すると閻魔大王も了解し、娘は人間界に生きて戻る事ができたのであった。
 その帰路、 地蔵菩薩は娘に「人身受け難く、仏教値い難し。一心に精進して身命を惜しまず」と教えられ、さらに極楽へ 往生する要句として、「極楽の 道のしるべは我が身なる 心一つが直きなりけり」と教えられた。

 姫は生き返り、仏恩のありがたさをしみじみと感じ、涙し、出家して「如蔵尼」と名を改め、地蔵菩薩を 念じ修行に励み、数十年後、正座し念仏を唱えながらついに大往生をとげたのであった。

参考『福島の伝説』(角川書店)、『会津の歴史伝説』(歴史春秋社)

   
   慧日寺は、福島県最古の寺で、国の史跡に指定されており、徳一上人の開基になるのだが、度重なる戦乱の中衰退し、廃仏毀釈でついに廃寺となってしまったそうである。
 悪路王さん(from伝奇伝説研究所)、そのご友人高丸さんと探訪。まずはここの資料館を見学だ。なかなか整備されたきれいな資料館で、日寺の重要さを知った上で、境内跡周辺にある、「如蔵尼の墓」と「慰霊塔」を見学。
 「如蔵尼って誰?」という方も多いと思うが、その別名を上げれば、「ああ」と納得されるであろう。別名、「滝夜叉姫」である。そう、あの歌川国芳の錦絵「相馬の古内裏」で有名なあの人。
 ところでみなさんは「滝夜叉姫」と聞いてどんな人物を思い起こすだろうか。魑魅魍魎をあやつる妖術使い?妖怪変化を駆使して光国を悩ませる怪女?いえいえ、実は、ここの伝説に残る「如蔵尼」に、そのような悪のイメージはひとかけらもない。むしろ、非常に徳の高い人物として伝えられているのである。滝夜叉姫はそもそも近世の芸能の中で育っていったキャラクターであり、如蔵尼をヒントに作られたとはいうものの、中身はほぼ別人と言っても良い。そこから、このイメージの食い違いがきているのであろう。
 なお、福島県にはもうひとつ、いわきにも恵日寺があり、やはり滝夜叉姫伝承が残る。そちらとの関連も興味深いところである。
 

如蔵尼の墓。


如像尼の碑。

   
 

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磐梯町磐梯。恵日寺のそば、このあたりに慰霊碑が建っている。

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恵日寺から少し西へ行ったところ。墓はこのあたりにある。


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