その昔、木々の葉が色づき始め、遠くの山の頂きに白いものが見え染めるころ、寺内の部落に奇妙な噂がたった。それは、和尚山の麓にある沼の主である大蛇が怒りだして、和尚山と高寺山を引きつけ、日橋川と一の戸川をせき止めて、この辺一帯を泥沼としてしまうとのことだった。
ある朝早く、1人の若者が沼の側で稲刈りをしていると、水際で眉目秀麗のうるわしい乙女が黒髪をけずっている姿を見た。思いもよらぬ情景に若者はぞっとし、身震いが止まらず、蓑も鎌も放り出してあわてて家に逃げ帰り、そのまま不思議な病にとりつかれて寝込んでしまった。
そんなことがあってから沼の大蛇の噂はますます広がり、泥沼の話も方々へ伝えられ、近所の部落も大騒ぎになり、人々は恐れおののくようになった。これも沼の主に対する不信の戒めであると人々は近くの泉福寺に集まって度々相談をしたが、これぞという考えは浮かばず、ただただ絶望に沈むのみであった。
その時、本堂でなにやら阿弥陀様に念じておられた和尚様がやおら身を起こし、みなの集まっている座中に進み寄ると、こう心境を語った。
「私は、皆さんの苦しみを救うために仏様にお願いし、法力によって大蛇を退散させてみましょう。」
人々はこれこそ仏の救いと和尚様の指図に従い、山頂に深い穴を掘り、白木の棺を作り、その中に柿7つと鉦を入れた。和尚様は念珠をとり、服装を改めると皆に別れを告げて棺に入り、土中深く埋められたのであった。
村人たちは、どうなることかと和尚様の身を案じていたが、7日7晩読経と鉦の音が山頂から響き渡っていた。
やがて8日目の朝、山を覆っていた暗雲はからりと晴れ渡り、読経の声も、鉦の音も朝霧とともに消えていったのだった。尊い和尚様の生贄と、慈悲深い弥陀のお護りによって異変は起こらず、日橋川は波さえたたずにおさまっていたのである。
大蛇は法力によって沼にいることができなくなり、沼の底に沈んでいたお不動様を持って小布瀬原のある民家のアゲバフ(母屋の上に小さく煙り出しとして作られた屋根)から、葦毛の馬に乗って疾風の如く岩月の無行沼へ逃げて行ったということである。
以来、小布瀬原部落ではアゲバフは作らないのだという。
参考 『山都町史』