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夜泣き
 

■その1

  那須の殺生石を砕いた後、全国行脚の旅に出ていた玄翁和尚は、ある時猪苗代湖に 辿り着いた。
日もすっかり暮れ、人影も無い夜道を歩いていると、どこからともなく子供の泣き声が 聞こえて来る。和尚がその声をたよりに探すと、道端の草むらに子供がうずくまって泣いている。 不思議に思い何を訪ねても、ますます声高に泣き叫ぶばかり。しかたなく和尚はその子を 背負って行くことにした。

しかし、どうしたことか、歩いているうちに背負った子供はどんどん重くなっていく。しまいには 石のように重くなり、和尚は背負っているのが精一杯になってしまった。ふと道端を見ると、座るのに 丁度良い石があったので、和尚はそこで休むことにした。

しばらく休んで和尚が立ちあがろうとすると、どうしたことか体が上がらない。後ろを見てみれば、 なんと背負った子供の足が石にめり込んでいて、しかも子供が両手で和尚を押さえ込んでいた。 これを魔性の者のしわざと考えた和尚は、経文を唱えつつ、杖で背中の子供を打とうとしたが、 子供は一瞬にして草むらの中へ逃れてしまった。

この子供は九尾の狐の精が化けたもので、和尚に復習しようとしていたのだった。が、和尚はその後は 何事も無く、無事に旅を続けたという。この時の石は「夜泣き石」と呼ばれ、今でも子供の足跡が残っ ている。

■その2

 昔、朋輩の悪巧みによってありもしない罪にとわれ、切腹した侍の女房が、子供にまでその罪が 及ぶのを恐れ、二人の子供を連れて落ち延びる決心をした。

闇夜にまぎれ、幼子二人をつれて出発したが、だいぶ進んだところで上の男の子はすっかり疲れ果て、 そのまま道端の石の上で眠ってしまった。母親は、「幼子二人を連れての道中はおぼつかない。 このままゆっくり逃げて見つかれば殺されてしまう。どうせ惨殺されるくらいなら、ここで捨て子に していけば、もしや良い人に拾われるかもしれない」と考え、妹の乳飲み子だけを背負って、涙ながらに その場を立ち去ったのだった。

それから何時か過ぎ、やがて男の子は目を覚ますと、自分が独りなのに気付き、母や妹を呼んで泣きわめいた。 すると道の向こうの藪の中から、母の声で「こっちへおいで」と声がする。男の子はすぐにその声の方へ 駆けて行こうとしたが、どうしたことか足が動かない。足が石に吸い付いてしまっているのだ。 どうしても足が上がらず、もがいているうちに、幼子は再び疲れて眠ってしまった。

やがて朝が来て、男の子の元にドヤドヤと駆けて来る男たちがいた。なんと、父の冤罪が明らかになり、 妻子を探して追ってきた人々であったのだった。男の子はその後城に戻り、成人して父を継いだが、母娘の行方は ついに知れなかったという。

あの夜、男の子を呼んだ母の声は、実は魔性の石の声であった。しかし、幸いにも男の子の足元の石には 仏性があり、男の子の足をつかんで救ったのだった。この石は今は「夜泣き石」」と呼ばれ、子供の足跡が くっきりと残っている。夜泣きする子供を背負ってお参りすると夜泣きが止むといわれ、今でも訪れる人は 多い。魔性の石は「呼ばり石」といわれたが、道路の拡張で無くなった。

参考 『会津の歴史伝説』(歴史春秋社)『日本怪奇幻想紀行2』(同朋社)

   
   殺生石伝説において重要な位置にいる玄翁和尚。その和尚にまつわる石、子供の足跡がくっきりと残っている「夜泣き石」である。白虎隊古戦場跡の中にあって近くには名所強清水があるということもあってか、お供え物が散乱して、有名さを物語っていた。それにしても、いや本当に、あきらかにそれは子供の足跡だった。思わずぞっとしてしまう。
 ちなみに、この石には上に挙げたように2種類の伝説が伝わっており、その2の伝説は玄翁和尚とは全く関係無いのだが、どちらかというとそちらの方がメジャーなようである。
 

夜泣き石。



夜泣き石のある「白虎隊奮戦の地」。

   
  mapion
会津若松市河東町八田。何も無いところなので、バス停を見逃さないように。

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