頼朝に追われた義経が奥州に向ったの知らせが鎌倉に届くと、頼朝は各地の要所要所に豪勇の士を差し向けて、義経を討つ于筈を整えた。渋谷荒人は会津から奥州米沢・信夫仙台への道筋の要衝磐梯山の東麓へ差遣わされた人であり、弁慶とは山伏修験の仲間で深い面珈かあった。
ある日十人余りの山伏か通りかかった。1人1人顔を見ていると、確かに弁慶がいる。義経一行に相違ないと、部下を指揮して襲いかかろうとしたところ、弁慶も荒人を見つけて進み出で、「お互い知っている同志だ、二人で負をつけよう。わしが負けたら義経公の首を渡そう。勝ったら兵を返えせ。誰も手出しは無用」と、2人で勝負対決を始めた。
荒人いかに強しといえども、弁慶の敵ではない。遂に捻じ伏せられ、首を斬られてしまった。この有様に捕手の兵は皆こそこそと姿を隠し、義経たちは信夫の里へ向けて発ち、荒人の骸は捨てられたまま片付ける者もいなかった。
何年か過ぎて物の怪がその近くに立ち、通行人に差別なく仇をするようになった。人々が相談して白津八幡の神主鈴木山城守に物の怪の祓いを頼み、山城守は早速出向いて祈祷を施行し、蟇目の法をもって妖怪の脚を射て引っ捕え聞きただしたところ、弁慶に殺され死骸も打ち捨てられたまま、誰も回向をしてくれないため浮かぱれず、崇りをしていると話したので、山城守は、此処の村名も汝の姓を取って渋谷としてやるし、神に祭ってやるから、今までの罪亡ぽしに村を守り、通行人の災難を裁って守ってやれ、とて祭られたのが荒人神社であり、渋谷村村名由来である。
参考 『猪苗代町史』