■土津神社の亀石
始め亀石は南向きに置かれていたが、眼下には猪苗代湖が見え、亀は一夜のうちに湖へ這い出してしまった。そこで今度は北向きにしたところ、亀は2度と動き出すことはなかったという。
■磐椅の鬼婆
日露戦争で戦死を遂げた長尾景正が小学生の頃、ある日学校の補習で帰宅が遅れ、夕ぐらくなって急いで帰って来た。家の近くまで来た時、下女の老婆がうつむいて歩いて来た。迎えに来てくれたのかと思ったが、すれ違い通り過ぎようとしたので「婆や、迎えに来たのか」と声を掛けると「エッエイ」と首を上げた・・・その顔。
口が耳まで裂けた鬼婆なのにたまげて一目散に家に逃げ込んだという。帰って見たら、婆やはご飯炊きをして家の中にいたという。
■化けおかめの面
昔、ある夜見祢村の人が、磐椅の神官に用があって、庚申坂を昇り堰端に出て、堰に添って小路を歩いて来ると、堰の中を漕ぎ歩いて一緒に来るらしい水の音がする。こちらか急げは水の音も急ぎ、
ゆっくり歩けば水の音もゆっくりする。立ち止まると水の音も止む。
恐ろしくなって駆け出して急ぐと、神社近くなって道の上におかめ の面か落ちていた。夜目にもはっきり見えたので拾おうとしたら、スーッと飛んで薮の中に入り、こちらを見てゲラゲラ笑っている。驚きあわて、左へ曲がれば神官の家なのに、戸惑って右に曲がり、橋を渡って御供所の扉をトントン叩いたが誰もいないから起きてこない。そのうちに気が付いて、神官の家に飛び込みホッとしたという。
■化け松
江戸中期の頃、長尾家何代目かの神官のとき、御社の祭礼の前夜になって、風呂桶が壊沐浴ができなくなった。それで土津神社の前の分家から風呂を借りて、下男に背負って来るよう言い付けた。
下男は日が暮れてからその分家に行き、風呂を背負って土田堰に添う小路を辿り、田中正玄の墓地へ入る曲りから西十間ばかりの所の、松の木の根本に一休みした。
そしていざ立とうとしたら、誰かか風呂桶を押えているようで、どうしても立てない。「誰だ!」とどなると、「おまつだあ」と松の木の上から声かする。「離せ!」といって立ったらようやく立ち上ることかできた。
以来その松を怪け松と呼んでいたが、その後何年かして枯れたので伐ったら、白骨か出た。今は堰改修で松の根は掘り取られてあと
かたもない。
参考 『猪苗代町史』