■その1
沢井平館から西北におよそ100メートルのところを、俗に櫓下と呼んでおり、そこにケチ田と呼ばれている田がある。不思議なことに、この田を耕した者は、次々に不慮の事故に見舞われるため、持ち主が次々と変わって、最後に沢井の宝海寺に寄進された。
昔、平館が落ちるとき、城の姫君が乳母を伴って逃れたが、櫓下まで来たとき、不覚にも大事に持ってきた手鏡を落としてしまった。探している間もなく北の方をさして急ぐと、今度は乳母が力尽きて倒れてしまった。
それで、女の魂とでもいうべき鏡の祟りがあるため、ケチ田を耕す者に災難があるのだといわれている。また、乳母が倒れた沢井古内には、里人が乳母をあわれんで建立した姥神さまが祀られている。
■その2
平館に古内志摩守という豪族が住んでいた。ある日、所要で仙台方面へ出向いたが、その留守中、新屋敷の豪族殿内重郎右衛門が志摩守の側女のもとへ忍んで来て、よろしくやったという風説がたった。
帰ってきた志摩守はこの噂を耳にして、嫉妬に狂い、有無をいわせず側女を引きずり出して櫓下でたたき斬ってしまった。
後日になってから、その噂が事実無根だったことを知り、側女をあわれに思って館の北西に六道寺を建立して側女の冥福を祈ったのだという。
また、ケチ田を耕す者に災難がおこるのは、この側女の怨念が祟るのだといわれる。
参考 『石川地方の民話と伝説』