館山にあるボナリ石は、竹貫三河守の館内に何かの目的で置かれたものらしく、三河守も日ごろからこの石を珍重されていたという。
あるとき、家来の1人が、この石があっては館内が狭くなるから、取り除いてはどうかと申し上げたが、三河守は「石といっても決して粗末にするものではない。自然とは妙にして味のあるものである。」と言ったという。
数年後の春、竹貫城が攻められた。大軍の前に竹貫城は危うくなり、それを察したかのように敵の軍勢はときの声をあげ、怒涛のことく攻め寄せてきた。
ところがそのとき、予期もせぬときの声があがった。敵はにわかに勢いをそがれ、浮き足立った。竹貫軍はこの時を逃さず、見事にこれを撃退した。そのときの声の主が、この館内の大石であったのだった。
一説には、敵のときの声が山々にこだまして、ちょうどこの石がうなっているように聞こえたとも言われる。三河守はこれを記念し、牛3頭を埋め、石をボナリ石と名づけたという。また、これからこの城を牛が城と称することとなったという。
参考 『古殿町史』