■その1
昔、運沢の酒屋に唖の召使いの娘がいた。あるとき、娘はあだし男(誠意のない男)の子を宿したが、奉公人の身、体を休める間もなく、朝早くから馬にまたがり、草刈に蕨平、取場の方まで出かけていた。
ある朝、娘は草刈の最中ににわかに産気づいて、男の子を産み落とした。自分の手で清水を浴びせ、木の葉を集めて大きな石の下に寝かせ、その上にまた落ち葉をかけて家に帰った。このことは、里の誰一人として知る者はいなかった。
娘は、毎日乳を飲ませに通い、男の子も順調に育った。しかし、男の子は成長するにつれ、乳房をかじったり、胸をひっかいたり、髪をかきむしったりするようになり、ときには「人間の血を飲みたい」と言う事さえあり、母親もだんだん近寄りがたくなってきた。
次第に形相も鬼のようになり、草の実を食べるようになった。いよいよ大きくなって、茨の中を自由に奔走して生活するようになると、誰言うとなく「アッパ沢の鬼」と呼ばれるようになった。童子は思うがままに山沢天地を駆け巡って暮していたが、ある日、沢水に映った己の悪形醜相に唖然としてしまった。童子は自己嫌悪に陥り、畑田雲五郎山に移り住んだがそこでも心落ち着くことなく、里白石の社川の淵に移って住んだ。ここを今でも「鬼淵」と呼んでいる。
やがて童子の頭には16本の角が生えていた。童子の上空には暗雲がたちこめ、人々は恐れをなした。鬼淵での生活も長くは続かず、松ノ入の山村や、紀州の高野山へ移ったが、安住を求めることはかなわず、最後に丹波の大江山へ移っていった。
大江山では、越後よりやってきた同類の乱暴者や酒呑童子らとともに不良の限りをつくしたが、やがては源頼光らによって退治されたのだという。
■その2
ある鬼が、山白石のとりあげ石で生まれた。この鬼は大変臆病で、人間の住む場所には住むことができず、山の奥ばかりに住んでいた。しかし、鬼も成長して子を産むようになると、豊かな食料を求め、山越えを決心した。そして、途中で子どもを産み、そこに住み着いた。
だが、ある朝、若い農夫に見つかってしまい、親子の鬼は夢中で逃げて社川までたどり着いた。人間が怖い鬼は、そのまま社川に身を投げてしまった。そこが、「鬼淵」と呼ばれるところであるという。
参考 『浅川町史』