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喜惣神社  
 

 文化年間のころ、全国的に凶作が続き、桙衝村も例外ではなかったが、時の庄屋の年貢の取立ては厳しかった。

 困り果てた村人を見た時の組頭森藤喜兵衛、斎藤惣兵衛の両名は、白河の殿様に窮状を直訴した。しかし、直訴の罪で2人は捕らえられてしまい、打ち首の刑に決まった。

 長楽寺の和尚はこれを聞き嘆願したが時既に遅く、2人は処刑されてしまった。一方の庄屋も、西白河郡五箇村に所替えされてしまったという。

 「庄屋様をにらみ潰しにする」という2人の遺言で、池下山の中腹に庄屋様をにらむように地蔵様が建てられた。このにらみ地蔵も今はない。

 また、2人の霊を村人たちは神に祀り、由来を記した巻物を神社に納めたのだという。2人の義民の墓は現在も残っている。

 刷霜道垢信士(文化五辰年十月十三日)
義光瑞用信士(文化二寅十月朔日)

時の庄屋はその跡が絶えたといわれる。

参考 『長沼町史』

   
 

 悪政を直訴して喧嘩両成敗。村に伝わる義民の伝説(というより郷土史)である。

 当サイトとして気になるのはやはり「にらみ地蔵」なのであるが、町史には「今はもうない」とあるので期待せずに訪ねてみたところ、長楽寺の和尚が「それらしきものがある」との朗報。親切にも現場に連れて行ってくださった。
地蔵は山の中腹ではなく、麓にポツンと建っており、記述とは違うのだが、庄屋の屋敷跡といわれる場所を確かに見据えており、可能性は高い。どのようないきさつでそこに建っているのか詳しいことはわからないが、もしかしたらかつてのにらみ地蔵が何かの拍子で発見され、現在地に移されたのかもしれない。

 また、2人を神として祀った喜惣神社は桙衝神社境内に、2人の墓といわれるものは少し離れた久保之内という集落の墓地に現存する。ところで、この2人って斬首されたはずなのに、墓碑の命日が違うような気がするんですけど・・・(^^;。これは、真実が隠されているに違いない。

 

桙衝神社境内にある喜惣神社。


半分埋もれた地蔵。にらみ地蔵か?

 

これが義民の墓である。


   
  mapion
須賀川市桙衝。桙衝神社境内に喜惣神社。そこから南へ数百メートル行った小高い丘の麓ににらみ地蔵(?)。そして、神社から西へ少し行ったところの久保之内集落の墓地の奥に義民の墓がある。
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