永正のころ、田村義顕公は大志多山に三春城を築き移り住むことになった。入城の日、城の上空に1羽の丹頂鶴が現れ、輪を描いて飛んだので、この吉兆を喜び、舞鶴城と名づけた。
また、田村公が見張るに築城するとき、人柱にする美しい娘を探した。領内の光大寺村にお鶴という娘がいて大変美しかったので、人柱として山頂に埋められた。それで娘の名をとって舞鶴城と名づけたという。今でも光大寺には美人が多く、光大寺美人といわれている。
参考 『三春町史』