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三春駒由来と田村麻呂伝説  
 

■三春駒由来

 延暦14年、坂上田村麻呂は大多鬼山の石穴に篭る大多鬼丸を討つため、京都を出発するとき、高清水寺に武運長久を祈願した。高清水寺の僧延鎮は、5体の仏像を造った余材で鞍馬100疋を刻み、お守りとして将軍に贈った。将軍は、これを自分の鎧櫃に入れて出発したのであった。

 ところが、大多鬼丸を攻め始めると、将軍の兵は長旅で疲れ、非常な苦戦に陥った。すると、どこからか鞍馬100疋が現れ、兵たちはこれに乗って攻め上り、ようやく大多鬼丸を滅ぼすことが出来た。戦いが終わると、鞍馬はいなくなってしまった。

 次の日、1疋の木馬が汗にまみれて高柴村にいるのを、杵阿弥という者が見つけ、鞍馬100疋のうちの1疋であることを伝え知り、自分で99疋を彫り100疋としておいたが、3年の後にこの1疋もいなくなった。
残った99疋を杵阿弥の子孫が真似て木馬を作り、村の子供たちに与えたところ、これで遊ぶ子は健やかに成長し、子の無い家では木馬に1日3粒ずつの大豆を飼えば必ず子が授かり、疱瘡麻疹も軽く済んだので、誰言うとなく子育て木馬と呼ぶようになったという。

■過足(よぎあし)

 三春町の最南端に過足というところがある。延暦年間、坂上田村麻呂が夷賊討伐の途中、この地方一の民家に泊まったが、田村麻呂は大男だったので、夜具の下から足が出てしまった。
それから過足村と呼ばれるようになったという。

■満願虚空蔵

 大多鬼丸を討った田村麻呂が胆沢に向かった後のことである。
田村麻呂の後を追ってきた妹は、平沢村にいたり旅の疲れで倒れ、ついに帰らぬ人となってしまった。里人はこれを哀れみ、虚空蔵菩薩の小像を安置して供養した。この虚空蔵様に願をかけると必ずかなうということで満願虚空蔵と呼ばれ、参詣者があとを絶たなかった。
祭礼には城下からの途中の八島川に架かる橋は押し寄せる参詣者のために橋を担いで渡したというので担橋と呼ばれた。堂付近の苗代は参詣者に踏み荒らされるので、ついに祭礼日を苗代作りの時期とずらしたのだという。

■馬頭観世音

 胆沢経営に成功し田村麻呂は、都へ凱旋するため帰途に着いたが、途中、愛馬が長い転戦の疲れで死んでしまった。ある夜、田村麻呂は愛馬が霧の立つ美しい景色の中で遊んでいる夢を見た。

 三春に着いた田村麻呂は、先夜見た夢と全く同じ景色があるのに驚き、愛馬のためにその地に馬頭観世音を勧請した。今の荒町の馬頭観世音がそれである。

参考 『三春町史』

   
 

 郡山市東部から田村郡にかけては、その地名のとおり田村麻呂伝説が色濃く、数々の伝承が語り伝えられている。そのひとつの中心をなしているのが大滝根山であり、三春町における伝説でも田村麻呂は大滝根山を目指す途中、そしてそこから胆沢へ向かう途中という設定になっている。

 ところで、三春駒や三春張子で有名な高柴地区であるが、実は郡山市西田町分である。ただ、やはりここは三春との関連の方がイメージしやすいので、あえて三春町の項に入れることにした。
三春駒は日本三大駒のひとつに数えられ、福島県の民芸品として人気だ。高柴地区には、この三春駒や三春張子を作製・販売するデコ屋敷と呼ばれる古民家が並び、ちょっとした観光スポットになっている。まわりは田園風景が広がり、耳をすますとどこからか牛の鳴き声が聞こえてきたりして、茅葺の屋根とあいまってのどかな雰囲気をかもし出す。ぶらぶら歩くだけでもなかなか楽しいものだ。
将軍ゆかりの三春駒。
大きいものから小さいものまで色々種類が売っているので、将軍様を救ったという名馬を、ぜひおひとつご家庭にどうぞ。

 

高柴のとある古民家。


これは小さい三春駒

 

満願虚空蔵堂。


荒町の馬頭観音様。
   
 

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(三春駒由来)郡山市西田町高柴。観光地で看板も多く、この辺に行けばすぐわかる。

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(満願虚空蔵)三春町平沢。駅から北西へ向かい、すぐ右手。小さなお堂である。

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(馬頭観世音)三春町渋池。道から少し路地へ入ったところにある。わかりずらいので聞くのが良い。

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