大町紫雲寺の境内に1本の梅の古木があり、傍らに「はらきり梅」と刻んだ碑が建てられている。
享保の頃、荒木内匠という家老がいた。左柄監物と謀り、幼君を毒殺してわが子を養子に差し上げてあとを継がせようと早くから計画していたところ、幼君が御病気となった。
幼君近習役に滋野多兵衛という男がいた。無比の忠節者で力量も優れ、剣の達人であった。早くも荒木らの陰謀を知り、日夜側を離れず、一切の食事を自ら調理して進上していた。しかし、誰1人として滋野を助ける者なく、荒木の目を恐れ、退身を願う者や逐電する者もいる有様であった。
しかし滋野は油断なく君側を離れないので、さすがの荒木も手をこまねいていた。
荒木は、盗賊九平太なる者に、公儀より拝領の宝刀「三ヶ月丸」を盗ませた。刀番であった滋野を無実の罪に陥れようとしたのである。
また一説には、ある朝滋野が庭から出仕すると、すでに幼君に食膳が饗されている。やむなく自分の草履を食膳めがけて投げつけた。そのために閉門を申し付けられたという。
滋野は閉門中ひそかに抜け出し平沢村の乳母おしんの家を訪れた。
乳母は涙を流して迎え、団子をこしらえた。滋野は乳母の手を取り、「われ幼少にして父母に別れ、乳母の愛育によりようやく人となりしに、荒木らの逆臣のため冤罪を受け、近く切腹申し付けられるべし」と決別するとき、乳母や滋野が可愛がっていた老猫が滋野の裾をくわえて離さず、やむなく連れ帰った。
日ならずして、切腹が申し渡された。紫雲寺境内の切腹の座についた滋野は、猫に向かい、「汝性あらば、わが忠魂を藩中にあらわし、逆賊荒木に祟れ、われと共に殉ぜよ」というや、猫を屠り、返す刀にてわが腹を割き、大声にて「わが忠節幾百年ののちに至りて知る人あらん、逆賊共いずくんぞ天罰を逃れんや」とわが臓腑を引き出し、傍らの梅の木に打ちつけた。
一説に、猫は滋野の血をなめて裏山伝えに平沢村に帰ったという。梅の木は白梅であったが、このときから紅梅に変わったといわれる。
間もなく幼君は逝去、荒木は野望を達した。荒木の世となり、肩で風切るとはこのことをいうのかといわれた。
滋野が死んで100日目、荒木と左柄が囲碁をしていると、床の間に滋野の姿が朦朧と現れた。傍らに怪猫あり、眼光けいけいとして爪牙をとぎ、飛びかかろうとした。
両人は大いに驚き、左柄が槍を持って突きかかれば怪猫は口中より火焔を吐いて飛び回ったので、さすがの剛気の左柄も仰天し、荒木とともに倒れ付した。家内の者が聞きつけて来てみると、両人は総身より冷や汗を流し生きた心地もない様子であった。
それからは荒木の屋敷に夜な夜な妖怪変化が現れ、また地震で裏山が崩れて家族が圧死し、あるいは発狂して自殺するものもあり、猛犬数頭を飼っても効なく、種々の災禍が絶えることがなかった。
烈風の吹き荒れた夜のことである。三春城下は大火に見舞われた。このとき、滋野の亡霊は槍の先に炎を灯して本丸の屋根と荒木の屋根に火を付け、怪猫は火をくわえて空を飛び、家中の悪者の家々に火をつけた。これを滋野火事と呼び、以後見張るでは猫芝居をすると大火事があるといわれている。
参考 『三春町史』