富田の中央、今の小学校の南にある田んぼを通称仁王田という。
昔、菅生村(富田の旧名)に彦次郎と言って、神仏を敬う心の篤い百姓が住んでいた。ある年のこと、たまたま妻が病んで床に付していた。その上子を失い、わが身も勝れず不幸に継ぐ不幸を重ねていた。それで一家はまだ田植えとてできぬ有様であった。
これを心配しているときに、いずこからともなくやってきた山男2人が馬を連れ、農具を持参してきた。彦次郎は、他の所では田植えが済んだのにと気をもんでいたので、喜んで手伝いをしてもらった。そして、その日ははかどって田植えが全て終わった。
夕方になって「酒や肴を」と近所の店に走って帰ると、川辺で馬を洗って戻るはずの山男の姿が見えない。どこに行ったのか皆目わからず、夜遅くまで探したが、とうとう見つけることができなかった。
彦次郎は信仰が篤かったので、翌日も薬師様への日参を欠かすまいと、仁王門まで行って中をのぞくとこれいかに、中の仁王様が泥まみれになって立っていた。さては、昨日のお手伝いの山男は薬師様の仁王様であったかと彦次郎は何度もお礼を言って拝んだのだった。
今でもこの地を彦次郎と呼び、その田を仁王田と呼んでいる。
参考 『鮫川村史』