聖武天皇の御世の神亀年間、岩城郡飯野村(現在の棚倉町上台・玉野・福井)というところに、たいそう信心深い農夫が住んでいた。農夫は己の信仰のために西国巡礼へ旅立ち、ある日摂津難波の一軒の宿に泊まった。
その夜ぐっすりと寝込んだ農夫は、不思議な夢を見た。
白髪で長いひげを胸までたらした老人が音もなく枕元に立ち、重々しい声で言うのだった。「わたしは宇賀の明神である。これより東国、所縁の地へ参りたいと思う。お前が背負ってきた皮籠にわたしを納めて行くがよい。ただし、皮籠のふたは決して開けてはならぬぞ。」
農夫はおどろき目覚めたが、老人はどこにもいない。もともと信心深い農夫は、「これはきっと正夢に違いない」と、さっそく皮籠を背負って帰路についた。
農夫は幾日もかかってようやく飯野村の近く逆川までやってきたが、長旅の疲れでとうとう一歩も動けなくなってしまった。しかし、付近の家に宿を求めても泊めてくれる家がない。しかたなく次の福井部落まで歩き、また宿を請うと、快く引き受けてくれた。農夫はそこで早々と深い眠りに落ちたのだった。
どれほど眠っただろうか、農夫がうつらうつらとしていると、いつかの老人が再び枕元に立った。「この地こそが、わが所縁の地である。わたしはここに留まり、万民を守ることとする。はるばる送ってもらったお礼に、お前の子孫も末永く守ってやろう。」
翌朝、農夫が皮籠のふたをそっと開けてみると、長さ五寸ほどの白蛇が出てきた。白蛇はまばゆいばかりの金色に輝き、たちまち野へと消えてしまった。
このことを聞きつけた里人たちは、皆で宇賀の明神を祀るようになった。すると、いつしか清水がどんどん湧き出、大きな池となった。これが今の大清水池で、このため村では水に不自由しなくなり、平和になったのだという。
後に、付近がひどい干ばつになったとき、まわりに大清水池の水を引こうとしたが、不思議と清水が湧かなくなってしまう。ところが、再び福井に戻すとまたコンコンと湧き出てくる。これは、信心深い農夫のお世話をしなかった罰であろうと人々は語ったという。
また、宇賀神社も現在地に祀り、現在でも盛大に祭典を行って感謝している。
参考 『棚倉町史』より