今から1200年ほど前、寺山にたいそう栄えた造り酒屋があった。
さてこの酒屋にいつの頃からか老人が通うようになった。
老人は暮れの四つ(午後十時ころ)になると必ず現れ、みすぼらしい身なりで付近では見かけない顔であった。
また手に小さな徳利を持っているのだが、その徳利をくぐり戸の間から差し出し「酒を一升くれ」と言う。とても一升の酒が入るような徳利ではないのだが、不思議なことに酒はきちんと一升入るのであった。
この不思議な老人のことは店でももっぱらの噂となり、ある時「今度後をつけてみよう」ということになった。
そんなある日、やはり老人は小さな徳利で酒を買いにやってきたので、小僧が「あなたはどこのどなた様ですか」と聞いてみると、老人は不機嫌な顔で「そんなことを聞いてなんになる」とどなって足早に去っていった。
それを聞いた若い杜氏が今晩こそはと後をつけてみると、老人は夜道をすたすたと歩き、流の部落へ入ったかと思うと、入沢という沢に入る山間の道を進んでいった。そして、そこで老人の姿はぱったりと見えなくなった。
それからというもの、どうしたことか老人は二度と姿を見せなくなった。そして、後をつけた杜氏は病気になって寝込み、その年に仕込んだ酒は腐ってしまってやがて店も潰れてしまったという。
人々は、その老人はきっと入沢の観音様に違いない、楽しみの酒を奪われた怨みをかったのだろうと噂したのだという。
参考 『棚倉町史』より