トップページ福島の伝説県南>各伝説    <凡例
 
逆さ桜  
 

■その1

 昔、常隆寺の山門のわきに、一軒の農家があった。父母と娘の三人暮らしで、貧しかったが幸せな一家であった。庭には一本の桜の木があり、季節が来るときれいな花を咲かせていた。

 ある年、母が流行り病にかかってしまった。まだ十歳にもならない娘が懸命に看病したが及ばず、そのまま帰らぬ人となってしまった。

  その後父と娘は寂しく暮らしていたが、近所の人の勧めもあって、父は後妻をもらうことになった。ところが、この後妻が良くない女で、父が仕事へ出ると娘をいびるようになった。自分では仕事をせずに娘を暗くなるまで働かせ、食事もろくにさせなかった。娘はどんどんやせ衰え、とうとう目も見えなくなってしまった。

 目が見えなくては仕事もできず、いらだった継母は、とうとう娘を庭の桜に縛りつけ、桜の枝を折って娘を打ちつけた。娘は父に助けを求めたが父はおらず、継母の怒りをかってついに「お母さーん」と叫びながら、今は亡き母の元へと旅立ってしまった。
娘が死んでしまったことにやっと気づいた継母は、桜の木の根元を掘って娘を埋め、枝を逆さに立てて目印とした。

 仕事から帰ってきた父は娘のいないのに気づき継母を問い詰めたが、継母は知らぬ存ぜぬの一点張りだった。父は娘を探しに出かけ、そのまま戻ってはこなかった。

 やがて逆さにした桜の枝が根付き、花を咲かせるようになった。ところが、この花はみんななぜか下向きであった。村人たちはこれを見て、「娘の怨みがこもって、みんな下向きに咲くんだ」と噂した。
  そして継母は、ある年の桜が散る頃、重い病気にかかってひどく苦しんだ。そして、気が狂ったようになって家を飛び出し、そのまま行方知れずになってしまったという。

 後にこの桜を、誰言うともなく「逆さ桜」と呼ぶようになったという。

■その2

 前九年の役のとき、この地方で源氏軍と安倍軍の合戦があった。

 源義家は駿馬に鞭打って東へ西へ奮闘したが、馬が深田に足をとられてしまった。さすがの駿馬も身動きできず、四苦八苦の末ようやく抜け出すことができた。

 義家は遠巻きに見ていた味方に向って、「これよりは深田なり、進むべからず」と下知して、目印に桜の枝のむちを突き刺したという。

 後にこの枝が成長し、花を咲かせるようになったが、枝が逆向きであったために花が下向きとなり、「逆さ桜」と呼ばれるようになったという。

参考 『福島の伝説』(日本標準)、『棚倉町史』

   
   継母いじめにあったかわいそうな娘の話と、前九年の義家の話。まるっきり違う伝説が残されている逆さ桜ですが、明治初年に枯れ、2代目もJR水郡線がそばを通ったときに枯れてしまったそうです。現在では民家の脇にその名残を伝える桜が植えられています。(07-02-19)
 

現在の逆さ桜。
   
  mapion
棚倉町流。このあたりの民家の畑の中に現在の逆さ桜がある。
 トップページ福島の伝説県南>各伝説    凡例