●八溝の名のおこり
八溝の名は、八方に流れ落ちる溝があるからだとも、日本武尊の東征の折、下野宮で山の神に参拝し、山の麓に広がる原生林を見て「この先は闇ぞ」と言ったことに始まるという。
●藤原富得の悪鬼退治その1
今より1200年ほど前、八溝山には悪鬼どもが巣食っており、中でも夷賊が勢力をふるい、麓の村々を荒らしまわっていた。
そのころ八溝の南方、池田の地には藤原富得(とみやす)という武将が城を構えていた。富得は父から譲られた立派な鏡を持っていた。賊退治の準備を進めていた富得は、自身の城からこの鏡で八溝山を照らし、悪鬼の動きを探っていた。
さて、準備はちゃくちゃくと進み、軍勢をそろえた富得はついに八溝へ出陣した。軍勢は、目標の八溝山がよく見えるように、久慈川を越え、矢田を通り、浅川へ出た。
ところが、槙野地へさしかかった時、富得の愛馬が突然動けなくなり、そのまま息絶えてしまった。富得は悲しむ間もなく、代わりの馬に乗って出発した。
富得は鏡を照らし敵の動きを探りながら軍を進めていたが、鏡をのぞいてみると、不思議なことに先ほど死んだはずの愛馬が先頭を進み、軍を案内してくれているようである。愛馬の守護がついていると勇んだ富得軍は勢いにのり、八溝山へ到着しとうとう大勝利を収めたのだった。
その後、富得が鏡を取り出すと、愛馬の魂が火の玉となってあちこちへと飛び、悪鬼の残党の居場所を教えてくれた。それで、見事根こそぎ賊を退治することができたのであった。
富得は帰還の途中、亡くなった愛馬の墓にお参りし、駒寄神社として祀った。馬の倒れた槙野地は牧の内とも呼ばれ、その後名馬の産地として有名になった。また、鏡の活躍によって大勝利を収めたことを記念して、池田の城の名を鏡城、その城のある山の名を鏡山と呼ぶようにしたのだという。
●藤原富得の悪鬼退治その2
八溝山には昔、悪鬼と大蛇がいて村人を困らせていた。
それを聞いた鏡城主藤原富得がこれを退治したのだが、大蛇のいたところが麓の蛇穴(じゃけち)で、大蛇が腐ったところがくされ沢、腐った大蛇に石がかぶれたのでかぶれ沢と呼ぶようになったのだという。
参考 『茨城の伝説』(角川書店)、『茨城の伝説』(日本標準)