康平5年、源義家が安倍貞任を征伐の時、この地に砦を築き戦ったが、地の利は貞任にあり、義家は捕らえられてしまった。貞任はこれほどの人物を殺すには惜しいとして、しばらく義家を牢へと押し込めておいた。
貞任には尾上という美人の妹がいた。ある時義家は彼女に「我を脱しなば、吾、汝を妻となさん」とささやいた。これに喜んだ尾上は、義家を脱出させ、義家は無事館に帰ることができた。
さて、その後尾上は義家から音信が無いのを不信に思い、密かに夜忍び出て義家の館へ会いに行ったのだが、義家は会おうとしないばかりか、かえって「東夷の娘を妻にすることはできない。天子の恐れもある。」とこれを退けた。彼女は大いに悲しんで、ついに自害して果てたのだという。
縁切石は、かつてこの館内の濠の中にうずまっていたのを彫り上げて建てたものである。婚礼で嫁に行く者は、この前を通ると祟りに会うというので、この碑前を通らないのだという。また、今なお縄を結んで縁切りの祈願を成す者もあるという。
参考 『福島市史』