天文の頃、柱田の西沢に遠藤源一郎清治という人がいた。清治には朝日の前という大変美しい娘がおり、近くの村から瀬上景春という若者を婿にして、清則と名乗らせ、夫婦は仲むつまじく暮していた。
ところが、朝日の前が子供を身ごもり近々産むぞというとき、ふとした病気がもとで命を落としてしまった。
野辺送りも済んだある日の事。清則の部屋から何やら話し声がするのを父は聞いた。清治は不思議に思ったのだが、それは次の夜も、そのまた次の夜も聞こえてくる。
さすがに不審を抱いた清治が清則に問いただしてみると、驚くことには、朝日の前が毎晩清則のもとを尋ねてくるのだという。それでは自分もぜひ会いたいと父は申し出たが、それだけはできないのだという。
しかし、父清治は、「どうしても、死んだ娘に一目会いたい」と聞き入れない。そこで、その夜、清則の部屋をこっそりと覗いて見てもらうということになったのだった。
こうしてその夜、父は死んだ娘の姿をしっかと見ることができたのであった。しかし、次の夜、朝日の前は清則に「あなた以外の方にわたしのことを知られたとあっては、もう会いに来る事はできません。子供のことをくれぐれもよろしく頼みます」と言い残して消えてしまったのだった。
朝日の前の言葉に、清則は妻の墓へ行ってみた。すると墓の中から赤子の泣き声が聞こえてくるではないか。いそいで墓を掘り起こしてみると、はたして、墓の下で赤子が生まれていたのだった。
この珍しい話は伊達の稙宗公の耳へと届いた。稙宗公は母の四十九日に生まれたこの赤子に四十九院(つるしいん)という姓を授けた。
この子は元気に成長し、伊達家につかえ、清信と名乗った。数々の武勲を立て、井手(宮城県丸森町)に移り住んだが、その子孫は今もなお栄えているのだという。
保原町柱田には朝日の前を祀った御堂があり、四十九院の地名も残っている。
参考 『保原町史』『宮城の伝説(日本標準)』