■粟野地蔵尊縁起
弘仁年聞、弘法大師が奥州巡行されたどきのこと、奥州路を下って来て、徳江の渡しを渡って、この地にお入りになった。そしてこの近くにある、藤茶屋という茶屋にお休みになった。この茶屋にはお藤という美人の看板娘がいだ。
大師様がおいでになったというので、お藤はお茶を差上げたが、美目秀麗な大師様に接して、ひと目で大師様に
恋をしてしまった。しかし何も申し上げるごとも出来ないうちに大師様は出立されてしまったど。
お藤は、大師様恋しくて、大師様が欽み残されたお茶碗のお茶をすすったど。そし
て大師様をひたすら待っていだ。ところが、お藤は身ごもって、日ましにおなかが大きくなり、ついに玉のような男の子を生んだというんだ。さあ、お藤の父親は大変怒っていだが、そうするうぢに、また大師様は巡行のお帰りに茶屋にお寄りになった。お藤の父親は、大師様をなじって、「きずものになった娘をどうしてくれるのか、子どもをどうしてくれるのか」と、強くせまったというんだ。
大師様は事情をきいで、謝罪の言葉をのべて、そして、その子どもを手のひらにのせて呪文をとなえ、ふーっと息をふっかけだらぱ、不思議なこどに、子どもは泡となって消えてしまったど。
大師様は、その子どもの供養のためにと、持っていた錫杖を切り取って、四寸六分の仏像をつくって、その娘に残して旅立だっだそうなんだ。そしてその仏像を近隣の人達は泡の地蔵尊として今の地に祀ったが、子育て地蔵、子授げ地蔵として遠くか
ら信者が集まるようになった。この泡の地蔵から、粟野の地名が出たって言われでる。
■色の地蔵
栗野の地蔵様は、子育て地蔵て言って有名なんだない。地蔵様にお参りすっと、子どもほ丈夫に育つし、子どもも生れるって昔から言わっちぇんのない。
地蔵様のお祭りは、お彼岸のお中日なのない。いづも春の彼岸は風吹ぐし、荒れる日が多いのない。ほんじえ、地蔵様、お祭りだがら、赤い腰巻見だくなって、風吹がせんだなんて皆言ってんのない。色地蔵だなんて。
不思議によぐ風吹くんだもんない。ほんじえも、近在がら、うんと人集まんだもんない。
参考 『梁川町史』