和田字堀ノ内の雑木林の中に壇がある。風化した石碑があり中央梵字の下に「清海」としるされ寛延二年十月二十三日とある。
むかし清海と称する1人の僧が庵を構えて修行にいそしんでいた。庵の礎石と察せられる石や水行の清水も残っていた。この地は女人禁制とされていた。
この僧が青竹の節を抜いて空気穴として地上に出し、干し柿1連を持って生身入定をしたという。里人が竹に耳を当て、チリンチリンという鈴の音と念仏の声が聞こえるとまだ生きておられると安心したという。だが日が過ぎると共に鈴の音も念仏の声も途絶えた。
里人がこの地に石碑を建て清海壇と名づけ僧の冥福を祈ったという。
参考 『白沢村史』