昔、清水台の稲荷様は江戸の吉良上野介の屋敷に祀ってあり、妻恋稲荷と呼ばれていた。そのころ、郡山の呉服屋に生まれた石塚彦宗という人武士は、吉良の家来の1人として江戸屋敷に住んでいた。この男はかねてから信心深く、毎日この稲荷様にお祈りしていた。
元禄14年の暮れ、突然、大石良雄ら47人の義士が屋敷をおそった。石塚も傷を受けて、体をようやくひきずりながら屋敷の外へ逃れた。ここで倒れたら死ぬばかりと懸命に気をはっていたが、だれも助けには来ず、とうとう気が遠くなってしまった。
そのとき、耳の側で
「ここにいては助かるまい。お前の故郷まで連れて行ってやろう」
と声がするのでハッと驚いて見ると、大きな狐が自分に背中を向けて、ここへ乗れというようなふりをしている。
「さては、日ごろ信心する稲荷様が、この狐をよこしてくださったのか」
と恐る恐るその背中にまたがると、狐はまるで鳥のように雲の上を飛んでいった。
やがて地上についておりてみると、そこはまぎれもない自分の生家の前であった。そして、狐の姿は既に見えないのだった。
ゆっくりと傷を癒した石塚は、そのまま刀を捨て、呉服屋の商売に精を出した。そして、命を助けてもらった恩を忘れられず、清水台の愛宕神社の脇に社を作って、江戸の吉良邸にある妻恋稲荷を勧請して祀ったのだという。
土地の人々は、この社をめこう神社、またはめっけ神社といっている。
参考 『郡山の伝説』