桓武天皇の御世、ある女が田の仕事へでかけると急に腹を痛めて、田の中でひとりの男の子が生まれた。
この男の子、近くで死人が出ると這い這いしてまでも死体を見に行くという不思議な子で、7歳ごろになると5尺にもなる体格の持ち主となった。そして、墓をあばいて死体を食べたり、暴力をふるったりするようになったので、親も恐れその子を殺そうと思った。男の子は、それを察して家を出て行ってしまった。
子どもは何年か経て大滝根に棲み、滝根丸と名乗るようになった。そして、手下を率いて、旅人や土地の人を襲って暴れまわっていた。村人たちは滝根丸のことを、「あいつはまるで鬼だ」とささやきあった。滝根丸も、「俺は鬼だ」と名乗るようになり、その悪名はますます高まるのであった。
滝根丸の勢力はどんどん強くなってきたので、桓武天皇は坂上田村麻呂を征討に向かわせた。そこで滝根丸は田村麻呂に滅ぼされたという説と、紀州の熊野まで逃げたという説があり、今でも鬼生田の人は熊野権現には詣でないのだという。
滝根丸が生まれた田を、地獄田と呼んでいる。鬼生田(おにうた)の地名は、鬼が生まれた田ということから、この名がついたという。また、鬼生田の民家には鬼石という石があり、滝根丸が子供の頃、おもちゃがわりにして遊んだ石だという。
参考 『郡山の伝説』