昔、弘法大師の一行が、戸ノ口(猪苗代北岸)からまだ出来上がらない丸木舟にのり、湖上で丸木を削りながら鬼沼までやってきた。
やがて舟は完成し、その削り屑を湾内に捨てたところ、大きな木っ端はマルタや鯉や鮒になり、小さな木っ端はウグイになった。それで、鬼沼湾を中心に湖南の浜々は、今なおウグイの主産漁場になっている。
さて、弘法大師がなぜ急いできたかというと、北浦から南方を望んだ折、山々の織り成す景色が、まるで「病」の字に見えたからであった。そして、湖南の村々では、実際に疫病が流行し、大蛇がはびこっていたのだった。
弘法大師は魔物退治の準備として、まず港を作ろうと鬼沼の湾口に橋をかける大作業に入った。
人々に気付かれぬよう、夏の闇夜の中密かに東西から工事を進め、もうひと息で出来上がろうとした時、夜半にアマノジャクが鶏の鳴き声を真似て「コケッコッコー」と鳴いた。
大師は「もう夜明けか、見つからないうちに止めろ。」と言って、工事を止めてしまったのだという。
おかげで鬼沼湾は良湾になり、現在まで残っているのだという。
参考 『郡山の伝説』(郡山市教育委員会)