■鎌倉権五郎の百足退治
昔、この池に百足が棲んでいて、この地方の人々に大きな害を与えていた。当時この辺りを治めていたのは鎌倉権五郎であったが、人々は権五郎に百足退治を依願した。
権五郎は池の反対側にある物見岳の上に登り、百足が出てくるのを待った。そしてとうとう百足が姿を現したとき、権五郎の射た矢が百足に当たり、その血でこの池の水が濁ったのだという。
また、この百足の血が飛んで辺りにあった石に斑点がつき、うめぼし石ができたのだという。
■舞取姫
昔、ここに定継という長者がいた。長者には直継、弟守という2人の子供があったが、なぜか弟の弟守ばかりをかわいがった。そして、最も良い「かりのおの」という土地を弟に与え、ここに館を築き、松やつつじを植え住まわせた。これをかりの中丸長者という。
また、兄には舞取姫という娘がいた。絶世の美女であったため、虎丸長者の許嫁として将来を約束され、両人は互いに来る日を楽しんでいた。
この頃、陸奥の安倍貞任の家来、うめの権太という賊徒が、戦乱に乗じて舞取姫と財宝を目当てに攻め込んできた。
長者は戦術に疎かったため館は落城し、権太は館を占拠し姫をわがものにせんとしたが、姫は身の危険を感じて前の池に身を投じた。その姫の血が池にあふれ、現在でもその池の水は澄んだことがないという。
参考 『郡山の伝説』(郡山市教育委員会)