むかし、源義経が奥州白石へ向ったことを聞いた静御前は、義経恋しさに岩瀬白方、三穂田白石、安達白岩と白のついた地名を頼りに後を追った。
安達白岩に行く途中、白岩川に七不動が安置されているのを聞き、祈願しながら歩いて4つ目の石堂淵で景勝をたたえ休憩したが、残りの3つが不明となり、また白石がさらに北であることを聞いて、その遠さと疲労とに落胆し引き返した。
そして美女池に2度投身しようとしたところをこの地の花輪長者に助けられたが、失望の余り3年後にとうとう亡くなった。
それから石堂淵は一雨ごとに浅くなり、深くなりして、その変化を地元の人々は静御前の怨念であろうといい、いつとはなく御前淵といわれるようになったという。
参考 『郡山の伝説』(郡山市教育委員会)