■仕置き場の池
福良の地蔵山という小山の北裏は仕置き場であった。小さな凹字型の深い池があり、首をはねた死体を投げ込むとたちまち沈んでしまったという。
杉の木をこの池に倒したところ、吸い取られて消えてしまったので、人々は1里離れた猪苗代湖の底に通じているのかもしれないと言ったという。
■観音丹次の敵討
あるとき、一人の若者が福良にやってきた。幾年も敵を探し求めてきたのだが、この刑場にて既に刑死し地蔵山の板碑の下に埋められたと知り、積もる恨みのやり場もなく、力いっぱい刀で碑を斬りつけた。その痕が今でも鮮やかに残っている。
■人斬り三佐
地蔵山のかたわらを菅川が流れ、刑場へ引かれる罪人の涙橋と呼ばれる橋がかかっていた。この橋のたもとに人斬り三佐という仕置き人の男が住んでいた。
幾人もの無実の男女を斬ってきた三佐は、子供を抱いた若い女の亡霊に毎晩のように悩まされていた。
ある夜、決心してその亡霊の後をついていくと、地蔵山を上がったり下がったりしている。するとふいに茨に引っかかって倒れたので、それを一刀のもとに切り伏せた。強い手応えがあって刀は折れてしまったので、三佐は刀を捨てて逃げ出した。
その夜は寝もやらなかったが、翌朝行ってみると、そこには阿弥陀様の板碑が斬りつけられて倒れていた。
それから三佐は千手院に泣きこんで、和尚のはからいで仕置き人をやめることを許され、供養念仏に明け暮れて過ごしたという。
■地蔵山のひとつまなく
昔、赤津の長者に見目麗しい若者がいた。また福良の武家屋敷にはこれまた絶世の美女が花嫁修業に明け暮れていた。家柄も相応で距離も近く、必然と2人は恋仲となったが、どちらも一人っ子で跡継ぎなので、決して許されぬ仲であった。
これを心配した地蔵山の阿弥陀様と地蔵様は、なんとかしてこの恋をとどまらせようと考えた。そこで阿弥陀様は、夜になると織姫に化けて、欅の切り株で糸をつむいでいた。
そこへ小枝坂を下ってきた若者がやってきた。
「どこへ行きなさる」
「所用で福良まで」
「若者はひとつまなく小僧が怖くないのか」
「そんな化物は見たことがない。どんなものだ」
「こんなものだぁ」
といって、美しい娘はたちまち一つ目小僧へ変わった。若者は驚いて走り去った。
それが毎晩のように続き、長い舌で顔をなめまわされたりもし、若者は小枝坂を通れなくなって湖岸通りを1里も回り道をして帰ってきた。
すると、夜明も近いというのに1人の童子が水引きをしていた。
「若様、若様、どこへ行ってきた。ひとつまなぐが怖くないか」
といって一つ目に早変わりし、長い舌を出して追いかけた。
こんなことが続いてとうとう若者は姫をあきらめ、やがて立派に家を継いで衆望を集めたと伝えられる。
童子が夜水引きをしていた堀は童子堀といわれ、堀が常夏川に注ぐところに童子橋が架かっている。
参考 『郡山の伝説』(郡山市教育委員会)