むかし、異端の公家たちが都を逃れ、あるいは追放されて遠く国見山へ来て住みつき、近郷近在を荒らし略奪をしては生活していたので、この者たちを人々は鬼と呼んでいた。
延暦16年の桓武天皇の時代、田村麻呂が征夷大将軍として進軍し、金屋に拠点を置いて鬼の悪呂丸らを征伐しようとした。早朝に陣を発し永田の稜線を越えたときにようやく夜が明け、眼下の沼が朝日に照らされ一面朱に染めたようになった。それでこの沼を朱(あか)沼・明(あき)沼と名づけたという。現在の赤沼の地名の起源である。
進む道端で老婆に出会い、鬼の居所を尋ねたところ、「あの山だ」と答えた。それでその山を阿ノ山という。
悪呂丸は国見山東側中腹の巨岩の洞窟に住んでいた。田村麻呂は東へまわり、国見峠を下り、池で馬を洗って休養をとった。今の馬洗い池である。そして、鬼穴近くの井戸で矢を湿してから矢を放った。今の矢しめし清水である。その下の沢を地獄沢といい、矢しめし橋がかかっている。この橋を越え国見山を攻めたという。
3日間の死闘の末、ついに悪呂丸は降伏した。そのとき、悪呂丸は恭順の証として石に手形を押したという。その石は阿ノ山薬師の脇の山に残されている。鬼の手掛け石または鬼の手証文石と呼んでいる。また、薬師の舞という姫がいたが、死んだので田村麻呂が手厚く葬り、薬師瑠璃光尊として祀ったのが阿ノ山薬師だという。
御堂の東の山には三十三観音が点在しており、頂上には鬼の長持石・たらい鉢石が現存している。また、山の東の鬼穴のところには鎮守稲荷神社が祀られている。
参考 『郡山の伝説』(郡山市教育委員会)