むかしは、常夏川を境にして西側を栗森備中、東側を赤津治部左衛門が領していた。境界はあいまいで、川西にマコモが生えたらその土地は赤津領にし、川東に菖蒲が生えたらその土地は栗森領に属することと取り決め、互いに小競り合いをしていた。
あるとき、湖水に舟遊びをしていた赤津勢の留守中、虚をついて栗森勢が奇襲をかけた。赤津勢は急いで戻り、激戦となった末に赤津が勝利し、全村を統一した。以来、そこを戦場が原と呼ぶようになった。現在の桑木原と伝えられるが、昔の面影は残されていない。
滅ぼされた栗森備中は、黒森下の菩提寺まで攻め込まれて首をはねられたので、久しく成仏できずにさまよった。黒森峠の怨霊と呼ばれ、坊主や神主、学者などが通るたびに、化けて出て哀怨を訴え続けていたという。
参考 『郡山の伝説』(郡山市教育委員会)