北畠顕家が霊山に立てこもっている頃(あるいは落城のとき)、一族の人々が今の向町のあたりを通りかかったことがあったが、そのとき、顕家の娘がこの地で死んでしまった。そして、そのまま石に化したという。
その石は、稚児岩といって、今でも残っている。 参考『相馬市史』