■その1
そのむかし、八幡太郎義家が安倍貞任追討のため奥州に下った。相馬の椎木というところまで来て、小高い丘の上で一休みした。そのとき、手にもっていた銀杏の木の枝を地に立てて一服したのだが、それをそのまま出発した。
あとになって、この銀杏の木は大木に成長し、逆さに芽を出すようになったという。
■その2
天正14年8月、伊達政宗と相馬義胤がこの地で戦ったとき、いったん和議が成立した。そのとき政宗は、手にした鞭を地に刺して、そこより両国の境とした。
その鞭は地に根付いて、長い年月の間に枝をはり大樹となった。しかし、根っこを上にしてさしたために、育つにしたがって上のほうが太くて根元が細く、枝はいったん下に向いて出るが、今度は反転して半円形をして空に伸びるという奇観を呈した。
また、木が古くなるにつれて、幹や枝のところどころに乳房のごとき奇根を生じた。乳の乏しい人たちに、竹筒に甘酒を入れて枝に下げて祈ると、乳の出に恵まれると信じられている。
■その3
この大樹は何十年か昔、一度落雷のために焼けたが、根からまた新しい幹が出て繁茂したもので、幹の中は畳二畳も敷ける空洞になっている。
この空洞の中に大蛇が住んでいて、近くにいる小屋主(巡査のごときもの)の美しい娘に懸想し美男の若侍に身を変えて夜ごと通いつめた。娘は蛇と契って身ごもった。母が不審に思って若侍の後をつけると、大銀杏のうろに入った。
これは変化のものに違いないと思った母親は、娘に言い含めて、若侍の袴の裾に針をさしておくと、大蛇はカネの毒にあたってうろの中で死んでいたという。
参考 『新地町史』