今から600年前、太田の別所の館に、三浦左近国清という豪族がいた。彼にはどうしたわけか妻がなく、かくなる上はと、馬場の滝不動にこもって一心不乱に祈願をこめた。
99日目の夜、枕もとに不動明王が現れ、告げた。「汝にふさわしい妻はこの地にはない。西方五台山の麓、天竺より通ずる池があり、3年に1度天女が舞い降りる。明日はその日である。すみやかに五台山へ行き、天女の衣をとりかくせ。」と。
国清は言われたとおりに五台山へ赴いた。するとどこからか天の音楽が聞こえ、芳ばしい香りが漂って多数の天女が舞い降りてきた。彼女等が水浴するさまは、まるで宝石をちりばめたようであった。
国清は、1枚の衣をとりかくした。やがて天女はめいめいの羽衣をまとって天へと登り始めたが、1人だけ、舞い上がることが出来ずにしょんぼりととりのこされている。
国清は、衣をお返しくださいという天女の言葉をあとに、心を鬼にして館へと帰った。天女は致し方なく彼の館に入り、妻となったのであった。
幾年かたち、2人の間には太郎国忠、次郎国盛、そして八重姫と3人の子が生まれ、妻も母性に目覚めてもはや心を決め、幸福な日々を送っていた。
さて、八重姫が8歳になった7月7日のこと。今宵は祭りというので、国清は家宝を取り出して広い庭にならべた。そしてその中に天女の羽衣もあった。それを見た天女は、手にとり、頬ずりしながら、「昔私はこれを着ていました」と肩にかけたわむれているうち、アッというまに、天へと舞い上がってしまった。
国清は驚きのあまり声も出ず、あれよあれよと空を見上げるばかりであった。一方八重姫は「お母様、お母様」と泣き叫びながら夢中で駆け出したところ、あやまって沼に落ち、その可憐な生涯を閉じてしまったのだという。
その後この地は八重草と呼ばれ、沼のほとりには松が植えられて姫松と呼ばれている。国清は悲嘆に暮れて日々を送り、相馬重胤が太田に下向のときに別所の館を重胤に明渡してよそへ移り住んだのだという。
参考 『原町市史』