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達谷窟

 約千二百年の昔、悪路王を首領とする、赤頭高丸ら蝦夷の一味がこの窟に要塞を構え、良民を苦しめ、女子供をさらうなどの悪行三昧で、国府もこれを抑えることができなかった。そこで、京の桓武天皇は、坂上田村麿を征夷大将軍に命じ、蝦夷征伐の勅を下された。対する悪路王らは達谷窟より三千余の賊徒を率い、駿河国清美関まで進んでいたのだが、大将軍が京を発するの知らせを聞くと、その武威を恐れ窟に引き返し守りを固めた。
 延暦二十年(八○一年)、両軍は激突し、田村麿は窟にこもる蝦夷を激戦の末打ち破り、悪路王・赤頭・高丸の首をはね、ついに蝦夷を平定した。田村麿は、その戦勝を毘沙門天のご加護と感じ、悪路王の窟の跡に、京の清水寺の舞台を模した毘沙門堂を建立し、百八体の毘沙門天像を納めた。

参考 『岩手の伝説を歩く』(岩手日報社)


◆またたびの独り言◆

 達谷窟に居を構えた悪路王。蝦夷の首領なのだが、中央では恐ろしい「鬼」として捕らえられていたようである。しかし、江戸時代の北海道での「シャクシャインの反乱」などを考えてみると、実は被害者は悪路王たちの方だったのかもしれない。中央政府の圧迫に耐えかねた蝦夷の英雄として、立ち上がり、奮戦した悪路王たち。毘沙門堂は、そんな彼らを成仏させる意味もあったのだろう。なお、悪路王は、蝦夷の首領アテルイのことではないかと推測されている。
 また、境内には源義家が彫ったと伝えられる「磨崖仏」があるのだが、風化して現在は顔面しか残っていない。ま、それがまたいい味だしてるのだが。あと、不動堂に祀られた不動像は、悪路王が京からさらってきた籠姫に関連したものだそうだ。


雪の達谷窟。

磨岩仏の顔。

アフロ犬?

関係ないが雪の厳美渓。

★関連伝説地★

●田村麻呂関連
田村神社(宮城県白石市)
アテルイの碑(水沢市)
長者屋敷清水(松尾村)
→以上悪路王系

田村将軍蟹退治
(宮城県岩沼市)

高寺観音堂
(宮城県河南町)

魔鬼山寺(宮城県石巻市)

★アクセス★

平泉町北沢。


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