今よりおよそ七百九十年前のころ、姫松泉沢に泉長者と呼ばれる長者が住んでいた。広大な土地と館を持ち、豪華きわまる生活を送っていた。
長者夫婦には、世にも稀な美しさをもつ一人娘があった。
しかし、娘が年頃になったころ、毎日ふさぎこむようになり、日に日にやつれていくのであった。
長者は心配になり、神仏にすがるより他はないと、鎮守新山神社に参詣し、七日七夜の間祈願したところ、満願の夜、娘の付き添いの老婆が神夢を見た。
それによると、娘の病気は妖蛇の仕業であり、これを除かねばならない。そのためには、黒鉄の針で変化の衣服の裾を縫ってやれば良いという。
老婆は娘に夢のお告げを話し、何か心当たりはないかと訪ねてみた。すると、最近、夜中になると若侍が娘を慕ってやって来て、少しの間も眠ることが出来ず、それで体も疲労するようになったと涙ながらに訴えた。
老婆は、「それでは今夜も必ず来るだろうから、黒鉄の針で若侍の裾を縫いつけてやるように」と娘に針を渡した。
その夜若侍は悲しみにしずんだ様子で尋ねて来て、「今夜隈りで別れなければならない」となげき、娘もまた涙ながらに袴の裾を三針程縫った。
夜の明げるころ若侍は立去ったが、次の日、縫いつけた糸をたどって若侍の行先を探すと、現在の富野村の鹿島沼にたどりついた。沼には死骸となった大蛇が浮んでいた。
この大蛇はねんごろに葬られ蛇王権現として祀られた。
蛇の死によって娘の病気も全快して、泉長者の館には久方ぶりの春が訪れたかに思われたが、粟原館主栗原内膳が娘との結婚を拒絶されたことを怒り、難題をつきつけて娘を奪うとするので、長者の一族は秋田へ移住することになり、一夜のうちに秋田まで人夫の手送りによつて家財道具一切を運び去ってしまつた。
長者の子孫は粟原屋という旅館を経営して今も続いているという。
明治初年の頃宝物埋蔵の伝読を確めるため屋敷跡を発掘したが、土器だけで他の宝物等はなかったということである。
参考 『栗駒町史』